日本歴史地名大系 「津民村」の解説 津民村つたみむら 大分県:下毛郡耶馬渓町津民村[現在地名]耶馬渓町川原口(かわらぐち)・大野(おおの)・中畑(なかはた)・栃木(とちのき)・柿坂(かきさか)山国(やまくに)川中流域の支流津民川流域五ヵ村を総称する。東は小友田(おともだ)村、西は槻木(つきのき)村(現山国町)。「下毛郡誌」では津民は津谷(つだに)の転訛とし、津民の入口に津久江(つくえ)淵という深潭があり、渡舟で津民に入るという意味だという。応永一三年(一四〇六)六月一二日の野仲弘道寄進状(新田文書)に「野仲郷内、真佐木村田畠在家山野等」を楞厳(りようごん)寺へ寄進するとあり、「真佐木村」は現在の大野字柾木(まさき)に比定される。この谷に中世には宇都宮一族で野仲(のなか)郷司を勤める野仲氏が入部し、川原口に長岩(ながいわ)城を築いて戦国大名化しつつあった。小倉藩元和人畜改帳では高一千二四六石余、家数二七〇(うち惣庄屋一・百姓五四・名子七二・牢人五・大工牢人一・山伏一・寺三)・人数六〇五、牛六六・馬三七とあり、名子と牢人が目立って多い。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by