津軽船(読み)つがるぶね

改訂新版 世界大百科事典 「津軽船」の意味・わかりやすい解説

津軽船 (つがるぶね)

日本海交通は早くから行われたが,その具体的様相は明らかでない。津軽など東北地方北部と近畿中央(といっても,じっさいの港としては越前敦賀,若狭小浜等)との間に見るべき海上交通が行われるようになったのは鎌倉時代以降である。源頼朝の奥州藤原氏制圧により,国家権力が奥羽北部にまで及び,関東武士移住等が行われて開発が進むと,津軽と中央との交通もしだいに盛んになった。鎌倉末の1306年(徳治1),津軽の大船1艘が越前佐幾良泊で積荷サケもろとも略奪されたが,この船は関東御魚津軽船20艘の随一とあるから,当時20艘にも及ぶ津軽船が幕府庇護を受けて活躍していたもようである。その積荷は津軽からさらに北方夷島(北海道)にかけてのサケやコンブ等の産物であった。津軽の中心の港として栄えたのが十三湊(とさみなと)であったが,その後の津軽船の活動は不詳。
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