日本歴史地名大系 「洲島村」の解説 洲島村すのしまむら 山形県:東置賜郡川西町洲島村[現在地名]川西町洲島鬼面(おもの)川が最上川に合流する付近にあり、最上川北岸は宮崎(みやざき)村(現南陽市)、東対岸は津久茂(つくも)村(現高畠町)、西は高山(たかやま)村、南は下平柳(しもひらやなぎ)村。栖島村・巣の島村とも記される。天文七年(一五三八)の段銭古帳に「六十三貫仁百仁十五文 すのしま」とある。同二二年の晴宗公采地下賜録によれば、当地は天文の乱で戦死した富塚近江守仲綱の知行地であったが、総成敗権をはじめすべて、仲綱の時のとおりに湯目雅楽允に与えられた。また雅楽允は「すのしまの町、并たてめくり」の棟役以下の諸公事を免除されている。これにより湯目氏は居館を屋代(やしろ)庄大橋(おおはし)郷(現南陽市)から当地に移した(伊達世臣家譜)。このほかに「すのしまの内、やしきめくりのむねやくたんせん諸公事」を小島蔵人が、「すの嶋の内、さかへかも左衛門分不残」を中野常陸介が、「すのしまの内、こさと在け」などを除いた相伝分を松岡紀伊守が、「すのしまの内、かミさゑもん五郎ふん」「なかしま在け」「はふや在け」を湯目式部が、「すのしまの内、うるし山二郎衛門」の跡をすべて松木但馬守が下賜されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by