門の扉口の両側に部屋が連なる形式の門。江戸時代、城下町の武家屋敷の門として始まったもので、あたかも長屋の中ほどに門があるようにみえるところからこの名があり、各部屋には家臣たちが分宿した。武家屋敷の門としては薬医(やくい)門・屏中(へいちゅう)門なども用いられたが、長屋門は門の両わきに突出する番所(ばんしょ)を設けるのが特徴で、大名や旗本の家格によってその形や構造が定められていた。
現存するものでは鳥取藩池田家の因州池田屋敷表門、岡崎藩本田家の武家屋敷門(ともに重要文化財)が著名で、後者は両翼が撤去されているが、もとは間口120メートルに及ぶ長大なものであった。
やがて武家屋敷のほか、庄屋(しょうや)・名主を勤めた農家や、町年寄などの町家や寺院にも、長屋門形式をとるものが現れる。これらには番所はなく、扉口両わきの部屋は男部屋、伴部屋(ともべや)、納屋(なや)、厩(うまや)などに利用された。民家では、間口55メートルを超す大阪府交野(かたの)市私部(きさべ)の北田家住宅表門(重要文化財)が有名である。明治維新以後は一般農家にも普及した。
[工藤圭章]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…この長屋も御姓衆長屋,御裏衆長屋,家老長屋,足軽長屋のように身分編成で分けられていたが,その建物は藩邸を守るように外周をとりまく形で配された。この長屋の一部に扉をつけて出入口にし,その脇に見張り番人(中間)部屋を置いたのが長屋門で,武家屋敷の格式を表すものであった。この長屋門は農村においては名主,庄屋など村役人を務める上層の農民だけに建てることが許されていた。…
…近世の武家屋敷は道路に面して家臣の住む長屋を設け,門は長屋に開かれたので,門の屋根は長屋の屋根と一連のものとなる。このような形の門を長屋門(図10)という。正面は3間とし,中央に門の扉をつけ,左右はくぐりとし,その左右に番所をおく。…
※「長屋門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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