日本歴史地名大系 「洲崎町」の解説 洲崎町すさきちよう 新潟県:新潟市新潟町洲崎町[現在地名]新潟市本町通(ほんちようどおり)一三―一四番町・東堀通(ひがしぼりどおり)一三番町・古町通(ふるまちどおり)一三番町・横六番(よころくばん)町・曙(あけぼの)町・夕栄(ゆうえい)町・寄附(きふ)町・東受地(ひがしうけち)町・西受地(にしうけち)町・寄合(よりあい)町・寺山(てらやま)町・菅根(すがね)町・艀川岸(はしけかわぎし)町・横七番町通(よこしちばんちようどおり)・祝(いわい)町・元祝(もといわい)町新潟町の最も下手(北端)に位置する。「慶長年中洲崎町開発之趣申伝候」(天保一四年「新潟町明細帳」新潟町会所文書)という。元和三年(一六一七)七月の新潟新町材木町建設覚(同文書)によると、当月中に「す崎之町」に家を建てるよう指示され、「若家おそく作、鮭あミ之儀如在仕候者可為曲事事」とある。 洲崎町すざきちよう 北海道:釧路支庁釧路市釧路市街洲崎町[現在地名]釧路市大町(おおまち)一―八丁目明治二一年(一八八八)から同三三年まで存続した町。釧路市街の北部にあり、釧路川に臨む。南は真砂(まさご)町。「戊午日誌」(久須利誌)に「ヲタエト 是洲サキの事也、川口の内に入りて少しの湾をなしたり。其上大崖平有、其上に弁天社並阿寒の社等有、船作事小屋、大工小屋等有」とあるのは当地とされる。明治五年「碇(いかり)」「苧足糸(おたいと)」「春採(はるとり)」など七ヵ村を合せて釧路村が設置されたが(状況報文)、この苧足糸(おだいと)村は当地などにあたるとされる。同六年の「釧路国地誌提要」に苧足糸村がみえ、アイヌの戸口は五一戸・二五一人。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by