流地禁止令(読み)りゅうちきんしれい

改訂新版 世界大百科事典 「流地禁止令」の意味・わかりやすい解説

流地禁止令 (りゅうちきんしれい)

1722年(享保7)4月に江戸幕府が出した法令評定所原案がつくられたのは前年12月。幕府は1643年(寛永20)3月発令の田畑永代売買禁止令によって農民田畑売買を禁止したが,質入れ,質流れというかたちでの実質的な田畑売買があとを絶たなかったために発令した。法令の前半部分で〈田畑永代売買は禁止されているのだから,質入れ,質流れを認めることは結果的に永代売同然で田畑永代売買禁止令の本旨にもとる〉として〈今後いっさい田畑の質流れは認めない〉としたのである。そして後半部分で,今後質流れを認めないとすれば,質入れ地をどのように扱ってゆくかについて方針を示している。この法令をめぐって,天領の出羽国村山郡長瀞村および越後国頸城郡一帯に質地騒動とよばれる大一揆が起こるなどのこともあり,幕府は翌年8月に早くもこの法令を撤回した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の流地禁止令の言及

【享保改革】より

…幕府は1741年に一揆頭取は死罪などとする一揆規定の罰則を強化した。
[経済政策と都市政策]
 1695年(元禄8)幕府は田畑の質入れを認めるが質流れを認めないそれまでの方針を改め,証文に質流文言がある場合は質流れを認めることとしたが,1722年4月流地禁止令を出し元禄以前の方針に戻した。この趣旨を拡大解釈し質地騒動が越後頸城郡や出羽長瀞で起こったので翌年8月撤回し,41年以降田畑永代売買の罰則を軽減したため,地主的土地所有形成の条件が作られた。…

【質地】より

…1718年(享保3),21年にも質地取扱いに関して法令を発布し,質入人の受返請求権を制限して質取人の権利の強化を法制化した。ところが,幕府は突然22年4月に流地禁止令を発布し,これまでの質地規定は江戸町方の屋敷地を質入れした場合の処置方法であり,元禄以来の質地取扱いは無効にするとした。だが村方において田畑の質入れが急速に展開している事実を無視したこの法令は,出羽国村山郡や越後国頸城郡下の幕領村々での大規模な質地騒動の発生により,翌年8月には撤回された。…

※「流地禁止令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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