田畑永代売買禁止令(読み)デンパタエイタイバイバイキンシレイ

  • たはたえいたいばいばいきんしれい

百科事典マイペディアの解説

1643年江戸幕府が発した法令。農民の所持田畑の売買を禁じたもので,富裕農家の土地兼併による,貧農の没落を防止することがねらいであった。ただし質入れは認められ,事実上法令は空洞化した。1872年廃止。→質地小作

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世界大百科事典 第2版の解説

江戸時代,幕府が農民の担税能力維持を目的として,農民が田畑を売買することを禁止した法令。ただし,この名称による法令があるわけではなく,1643年(寛永20)3月に代官あてに出された全7条の〈書付〉中の第3条と,同年同月に農民あてに出された全17条の〈書付〉中の第13条とを合わせていう。これに同年同月に出された罰則〈田畑永代売御仕置〉(全4条)を含めることも多い。代官あてでは〈豊かな百姓は田畑を買い集めてますます豊かになり,貧乏な百姓は田畑を売却してますます貧乏になるので,今後田畑の売買を禁止する〉といい,農民あてでは理由を述べずに〈田畑の永代売買を禁止する〉といっている。

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙 江戸幕府が寛永二〇年(一六四三)三月に発した法令。農民所持の田畑の移動・集中を防ぐために無年期売りを禁じ、買い主をも罰した。明治五年(一八七二)二月解禁。

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

1643年,江戸幕府が本田畑の売買を禁止した法令
分地制限令(1673)などとともに農政の基本政策の一つ。土地兼併や農民の離村などを防ぎ,本百姓を維持して年貢の確保をはかった。違反者は売買両者とも重罪に処されたが,質流れや書入 (かきいれ) (抵当契約のこと)などの形で事実上破られた。のち緩和され,明治維新後の1872(明治5)年,禁が解かれた。

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世界大百科事典内の田畑永代売買禁止令の言及

【近世社会】より

…このときの田畑の耕作をだれがやったかは確認されていないが,中世末期の奴婢や近世の譜代下人,質奉公人の労働の例からみると,主家における一人並みの労働の量が定まっており,それを果たしたあとの余暇は下人の自由になることからみて,質奉公人の手で耕作されたと思われる。しかし地方によっては土地を売却して未納にあてる例も出,このような土地売却が増加するなかで,1643年(寛永20)ごろから幕府直轄領では田畑永代売買禁止令が出される。この禁令は五人組帳前書の類で繰り返され,関東以北の地では幕末まで禁止は続いている。…

【小作制度】より

…こうした地域では小農の貧富の差が拡大し,貧窮した小農が田畑を質入れしてそれを小作するという形態が広く発生した。直ちに土地の売却とならなかったのは,田畑(でんぱた)永代売買禁止令という封建農民への土地緊縛令があったためである。こうした状況が生ずると,初期から存在した名田小作も性格を変え,小作農の自立化・商品経済化が進んだ。…

【質地】より

…しかし質地という不動産の取引が一般的形態となるのは近世である。近世の最も基本的な土地立法の一つに1643年(寛永20)3月の田畑永代売買禁止令がある。ところで,中世から近世初頭にかけての売買には,(1)永代売,(2)年季売,(3)本物返売という三つの概念があり,現在いうところの売買の概念は(1)を意味し,(2)は一定の期限をつけて田畑を売買し,(3)は借りた金銭を返納して担保の田畑を受け戻すという売買である。…

【売券】より

…この両者は,質・貸借における抵当・担保とその性格がきわめて近似している関係から,互いに混同される場合がきわめて多かった。ことに1643年(寛永20)江戸幕府が田畑(でんぱた)永代売買禁止令を発布すると,本銭返し売券と年季売券は質証文の一種として,売券の代りに広く各地で使用された。【宝月 圭吾】。…

※「田畑永代売買禁止令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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