浄瑠璃寺村(読み)じようるりじむら

日本歴史地名大系 「浄瑠璃寺村」の解説

浄瑠璃寺村
じようるりじむら

[現在地名]松山市浄瑠璃町じようるりまち

松山平野南端の農村久谷くたに川が北流し、それに沿う平坦部を除くと、両側には山地が連亘している。東は上林かみばやし(現温泉郡重信町)、西は宮内みやうち村・千足せんぞく(現伊予郡砥部町)、南は久谷村、北は東方ひがしがた村・荏原町えばらまち村に接する。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)浮穴うけな郡の項に「浄留利寺村 林有、柴山有、小川有」と記され、天保郷帳には「浄瑠理寺村」と表記されているが、ともに当字であろう。

古代には浮穴郡荏原郷(和名抄)に属したと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む