浅井一毫(読み)あさい・いちごう

朝日日本歴史人物事典 「浅井一毫」の解説

浅井一毫

没年:大正5(1916)
生年天保7(1836)
幕末明治期の九谷焼陶工加賀(石川県)大聖寺で大聖寺藩士浅井長右衛門の次男として生まれる。幼名は幸八。兄は竹内吟秋。絵を吟秋と共に谷文晁門人,小島春晁に学び,嘉永2(1849)年より山代の宮本窯の飯田屋八郎右衛門のもとで陶画修業。赤絵細描の名手と称せられ,大聖寺藩主前田利鬯より相鮮亭一毫の号を賜る。永楽和全の去った九谷本窯の復興に尽くし,明治12(1879)年設立の九谷陶器会社では画工部長として参画。明治14年には独立。宮本窯の赤絵細描の技法に,和全の金襴手の技法を取り入れるなど,九谷焼に新しい方向を示した。

(伊藤嘉章)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅井一毫」の解説

浅井一毫 あさい-いちごう

1836-1916 幕末-大正時代の陶芸家。
天保(てんぽう)7年生まれ。竹内(たけのうち)吟秋の弟。加賀(石川県)大聖寺(だいしょうじ)藩士。江沼郡山代の宮本屋窯で赤絵を習得。維新後,永楽和全と山代窯を改良し,明治12年九谷陶器会社の画工部長となる。14年独立。大正5年12月死去。81歳。本名は幸八。号は相鮮亭一毫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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