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永楽和全 えいらく わぜん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

永楽和全 えいらく-わぜん

1823-1896 幕末-明治時代の陶工。
文政6年生まれ。永楽保全の長男。嘉永(かえい)5年京都御室(おむろ)にあった野々村仁清(にんせい)の窯を再興。慶応のころ加賀(石川県)大聖寺(だいしょうじ)藩にまねかれ山代窯で九谷焼を指導。維新後は愛知県岡崎で岡崎永楽とよばれる磁器を製作。晩年は京都下河原に菊渓窯を開窯。金襴手(きんらんで),古赤絵写し,青磁などにすぐれていた。明治29年5月6日死去。74歳。京都出身。通称は善五郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

永楽和全

没年:明治29.5.6(1896)
生年:文政6(1823)
幕末明治期の京焼の陶工。11代保全の長男で幼名は仙太郎。天保14(1843)年,12代西村善五郎を襲名。保全に陶技を学び,嘉永5(1852)年,油小路一条下ルの窯を野々村仁清の御室窯跡に移し再興,「おむろ」の印を用いる。慶応1(1865)年,加賀国(石川県)大聖寺藩江沼郡山代窯に招かれ,6年間滞在し,再興九谷焼の発展に尽くし,このころから和全の号を用いる。明治4(1871)年家督を長子得全に譲って善一郎を名乗り西村の本姓を正式に永楽とする。同6年より4年間は,愛知県岡崎に招かれ,コーヒーカップなどの洋食器も手掛けた。晩年には京都下河原に菊渓窯を開いた。作風は金襴手,呉須赤絵,染付,万暦,安南,絵高麗など,写し物に優れた才を発揮した。<参考文献>中ノ堂一信『京都窯芸史』

(伊藤嘉章)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の永楽和全の言及

【永楽保全】より

…江戸後期の京焼陶工。土風炉(どふろ)師(茶席において釜をかける土器の炉をつくる人)10代西村善五郎了全(1769‐1840)の養子。上京の織屋沢井家に生まれ,1817年(文化14)に11代善五郎を襲名した。養父了全は若いとき楽了入に陶技を学び,晩年には安南写しや交趾(こうち)写しを製作した。11代善五郎も土風炉製作から陶磁製作に転じ,27年(文政10)表千家吸江斎,楽旦入,了全らと紀州徳川家に招かれて御浜御殿で製陶し,〈河浜支流〉〈永楽〉の金・銀印を下賜された。…

【京焼】より

…桃山時代以降,京都で作られた陶磁器の総称。ただし一般に楽焼(聚楽焼)は含まない。桃山時代末,茶の湯の興隆とともに茶器焼造の窯として始められたとみられている。はじめは瀬戸あるいは美濃の陶工らが三条粟田口に開窯し,唐物や古瀬戸写しの茶入,当時流行の高麗茶碗(御本(ごほん),呉器,伊羅保)などの写しものを作った。しだいに銹絵(さびえ)や染付なども併用し,瀬戸の緑釉(織部釉)や交趾(こうち)釉,七宝釉,色楽釉などを用いて,京焼色絵陶器の先駆的なものが作られた。…

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