デジタル大辞泉 「竹内」の意味・読み・例文・類語 たけうち【竹内】 姓氏の一。[補説]「竹内」姓の人物竹内栖鳳たけうちせいほう竹内洋岳たけうちひろたか竹内実たけうちみのる竹内好たけうちよしみ 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「竹内」の意味・読み・例文・類語 たけ‐の‐うち【竹内】 〘 名詞 〙 =たけのうちりゅう(竹内流)①[初出の実例]「又自源・楊心・竹の内・関口なんどは大術の柔(やわら)を表とする」(出典:歌舞伎・幼稚子敵討(1753)六) たけのうち【竹内】 奈良県葛城市の地名。二上(にじょう)山東麓にある。竹内街道に沿い、宿屋・茶屋が多かった。[初出の実例]「尼上が嶽や二丈六尺〈西鶴〉 かけ樋に其まま倒す竹の内〈友雪〉」(出典:俳諧・両吟一日千句(1679)第五) たけうち【竹内・武内】 姓氏の一つ。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「竹内」の解説 竹内たけうち 宮崎県:東諸県郡国富町本庄村竹内正応四年(一二九一)三月八日の阿闍梨覚慶地蔵寺院主職譲状(大光寺文書)によれば、「宮庄竹内地蔵寺院主職」を六郎丸に譲与するに際し、その相伝の由緒は幸兼が罪科により妻万(つま)宮(現西都市)に渡し、覚慶に譲渡されたものであったことが明記されている。覚慶は地蔵寺と大般若供僧職を兼務していた(文永八年一〇月六日「某袖判地蔵寺供僧職補任下文」同文書)。おそらく妻万宮にかかわる供僧の一人であったのであろう。その後竹内地蔵寺の院主職は永仁六年(一二九八)に覚尊に譲渡され(同年一二月一三日「伊東某袖判地蔵寺院主職補任状」同文書)、さらに貞和六年(一三五〇)には覚尊から明尊に譲渡されている(同年九月一〇日「権律師覚尊地蔵寺院主職譲状」同文書など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by