日本歴史地名大系 「浅宇田村」の解説 浅宇田村あそうだむら 三重県:上野市浅宇田村[現在地名]上野市守田(もりた)町木興(きこ)村の南。上小場(かみこば)は浅宇田山(「三国地志」は阿蘇山)西丘陵下、下小場は長田(ながた)川(木津川)東岸の四ッ辻(よつつじ)・尾(お)ノ本(もと)一帯にあたる。林(はやし)遺跡からは弥生前期の土器が出土した。天喜四年(一〇五六)の藤原実遠所領譲状案(東南院文書)の伊賀郡大内(おおうち)郷のうちに「安佐小田村 四至東限立岡 西大便淵 南岩前 北限河」とみえ、当地方は実遠から甥の信良に譲られている。立岡(たておか)は久米(くめ)山北部をさし現四十九(しじゆうく)町に小字名が残り、大便(おおべ)淵は対岸大野木の菅原大辺(おおのぎのすがわらおおべ)神社旧社地前に迫っていた旧河道の淵であろう。下って久安年間(一一四五―五一)に藤原忠通が建てた京都最勝金剛(さいしようこんごう)院の伊賀所領中に「あさうた」がみえ(治承四年五月一一日「皇嘉門院惣処分状」九条家文書)、寿永二年(一一八三)国司に収公されたが(「玉葉」一〇月七日条)、まもなく旧に復した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by