20世紀日本人名事典 「浅田栄次」の解説
浅田 栄次
アサダ エイジ
- 生年
- 慶応1年5月22日(1865年)
- 没年
- 大正3(1914)年11月9日
- 出生地
- 周防国徳山(山口県徳山市)
- 学歴〔年〕
- 東京帝大理科大学数学科〔明治21年〕中退,ノースウエスタン大学ガレット神学校〔明治24年〕卒,コロンビア大学大学院,シカゴ大学大学院博言科修了
- 学位〔年〕
- 博士号(シカゴ大学)〔明治26年〕
- 経歴
- 明治16年京都中学卒業。17年東京英和学校に入るが、すぐに官費生として工部大学校予科に移る。在学中にキリスト教に関心を抱いて洗礼を受ける。20年帝国大学理科大学数学科に入学するが、22年中退、神学を学ぶため渡米。26年帰国、青山学院、東京高等商業学校(現・一橋大学)、東京外国語学校、中央大学などの教授を歴任。東京外語では初代教務主任、英語科主任教授を務め、「アサダーズ・イングリッシュ・リーダーズ」を編集するなど、日本の英語教育の先頭に立った。シカゴ大学では浅田が博士号第1号取得者として6月26日を“浅田栄次の日”として記念している。平成8年「浅田栄次追懐録」が80年ぶりに復刻された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報