浅田長平(読み)アサダ チョウヘイ

20世紀日本人名事典 「浅田長平」の解説

浅田 長平
アサダ チョウヘイ

大正・昭和期の実業家,技術者 神戸製鋼所社長。



生年
明治20(1887)年4月15日

没年
昭和45(1970)年10月21日

出生地
大阪府堺市

学歴〔年〕
京都帝国大学理工科大学採鉱冶金科〔明治44年〕卒

経歴
明治44年合名会社鈴木商店に入り、神戸製鋼所勤務、昭和4年取締役となり、常務専務の後20年社長となった。21年公職追放で辞め25年解除と共に復帰、相談役となり27年社長に再任。33年会長、40年から相談役。技術向上に尽力、神戸製鋼を国際的な会社に育てた。インド鉄鋼石長期開発調査団団長として渡印するなど国際的にも活躍。神戸商事、日本鉄鋼協会各会長、経団連理事、神戸商工会議所会頭、神戸市教育委員なども歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅田長平」の解説

浅田長平 あさだ-ちょうへい

1887-1970 大正-昭和時代経営者
明治20年4月15日生まれ。44年神戸製鋼所にはいり,昭和20年社長となる。公職追放で辞任し,27年社長に復帰。田宮嘉右衛門(かえもん)とともに同社を国際的なメーカーにそだてた。日本鉄鋼協会会長。鉄鋼大合同論者として知られた。昭和45年10月21日死去。83歳。大阪出身。京都帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「浅田長平」の解説

浅田 長平 (あさだ ちょうへい)

生年月日:1887年4月15日
大正時代;昭和時代の実業家;技術者。神戸製鋼所社長
1970年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android