日本歴史地名大系 「浅草六軒町」の解説 浅草六軒町あさくさろつけんちよう 東京都:台東区旧浅草区地区浅草六軒町[現在地名]台東区元浅草(もとあさくさ)二丁目浅草新寺町通下谷車坂(あさくさしんてらまちどおりしたやくるまざか)町の南にあり、北方東寄りは等覚(とうがく)寺、東は横寺町(よこてらまち)通を隔てて新光明(しんこうみよう)寺、南は栄蔵(えいぞう)寺・経王(きようおう)寺、西は唯念(ゆいねん)寺。江戸時代初期天海が在世中、東叡山寛永寺の中間・陸尺を勤める者たちが同山東方屏風(びようぶ)坂近辺で町屋敷を拝領し、これを屏風坂下六軒(びようぶざかしたろつけん)町と称した。同町は元禄一一年(一六九八)の勅額火事で類焼して御用地として収公され、代地が浅草・下谷・神田の三ヵ所に与えられた。当町は浅草に与えられた代地にあたる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by