日本歴史地名大系 「浅草福富町一丁目」の解説 浅草福富町一丁目あさくさふくとみちよういつちようめ 東京都:台東区旧浅草区地区浅草福富町一丁目[現在地名]台東区浅草橋(あさくさばし)三丁目・鳥越(とりごえ)二丁目浅草猿屋(あさくささるや)町の北にあり、同町との間を鳥越川が流れる。北は通りを隔てて浅草寿松院(あさくさじゆしよういん)門前、東は通りを隔てて頒暦調所および御薬草植付所、西は書替所跡町屋および浅草元鳥越(あさくさもととりごえ)町。文政町方書上によると、町屋の拝領年代は寛文年間(一六六一―七三)と伝える。往古は北東の西福(さいふく)寺南方にあったが、享保一七年(一七三二)の大火で類焼し、南西の播磨山崎藩本多氏屋敷の跡地に引移った。だが文政二年(一八一九)町内が類焼して諸書類を失ったため、委細は不明という(同書、沿革図書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by