浅野長治(読み)あさの ながはる

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅野長治」の解説

浅野長治 あさの-ながはる

1614-1675 江戸時代前期の大名
慶長19年3月26日生まれ。浅野長晟(ながあきら)の子。寛永9年父の遺領安芸(あき)広島藩嫡子の弟光晟(みつあきら)がつぎ,長治は5万石を分与され,支藩備後(びんご)(広島県)三次(みよし)藩主浅野家初代となる。治水・殖産につとめ,三次の鵜(う)飼い,備後畳表,三次人形などの名物名産をおこさせた。延宝3年1月19日死去。62歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「浅野長治」の解説

浅野長治 (あさのながはる)

生年月日:1614年3月26日
江戸時代前期の大名
1675年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の浅野長治の言及

【備後国】より

…旧国名。現在の広島県東部。
【古代】
 山陽道に属する上国(《延喜式》)。古く吉備(きび)国といわれた地域の一部で,大化改新後に吉備総領が任ぜられたが,天武・持統朝ごろ分割されて,備前,備中,備後国が成立した。697年(文武1)閏12月には正史に備前,備中という国名が記されているので,当然備後国も存在したはずである。国府は《和名類聚抄》には葦田(あしだ)郡にありと記され,現在の広島県府中市域の旧国府村大字府川の地にあったと考えられる。…

※「浅野長治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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