浅野長晟(読み)あさのながあきら

精選版 日本国語大辞典 「浅野長晟」の意味・読み・例文・類語

あさの‐ながあきら【浅野長晟】

  1. 江戸初期の大名。広島藩主。長政の子。幸長の弟。右兵衛佐、但馬守と称する。徳川家康に従い、大坂の陣に戦功をたてた。天正一四~寛永九年(一五八六‐一六三二

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「浅野長晟」の解説

浅野長晟

没年:寛永9.9.3(1632.10.16)
生年:天正14(1586)
江戸時代初期の大名,安芸国(広島県)広島藩浅野家初代藩主。浅野長政次男,叔母寧子(北政所)が豊臣秀吉の正妻であった縁で早くから秀吉の近侍となる。秀吉没後は徳川家康に従い,京にいた寧子の守護を命じられ,備中国蘆森(岡山市足守)で2万余石を与えられる。慶長18(1613)年兄幸長が嗣子なく没したので,和歌山城に入り,紀伊国37万余石を領した。大坂冬・夏の陣では大功を立てる一方,この間大坂城と通じた国内の熊野,新宮などの一揆を平定している。元和2(1616)年家康の3女振姫を妻に迎え,同5年改易となった福島正則の跡,安芸,備後に42万余石を領して広島城に移った。ここでも地域の慣行を重んじて諸制度を整え,藩政を確立した。<参考文献>三井大作『浅野長晟公略伝』

(後藤陽一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浅野長晟」の意味・わかりやすい解説

浅野長晟
あさのながあきら

[生]天正14(1586).近江,坂本
[没]寛永9(1632).9.3. 広島
安土桃山~江戸時代初期の大名。幼名岩松,のち右兵衛佐,但馬守。長政の次男。幸長の弟。幼少より豊臣秀吉に仕え,慶長2 (1597) 年 3000石。関ヶ原の戦い後,徳川家康に従い,同 15年備中2万 5000石を領した。同 18年兄幸長の死後,紀伊浅野本家を継ぎ,大坂の役後,従四位下に叙され,元和5 (1619) 年安芸広島 42万石余に封じられ,のち侍従となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅野長晟」の解説

浅野長晟 あさの-ながあきら

1586-1632 江戸時代前期の大名。
天正(てんしょう)14年1月28日生まれ。浅野長政の次男。妻は徳川家康の娘振姫(ふりひめ)。豊臣秀吉,のち徳川家康にしたがい,関ケ原の戦い,大坂の陣に出陣。兄浅野幸長(よしなが)の跡をつぎ紀伊(きい)和歌山藩主浅野家2代となるが,元和(げんな)5年福島正則の改易(かいえき)により安芸(あき)広島藩主浅野家初代となる。42万6500石。寛永9年9月3日死去。47歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「浅野長晟」の解説

浅野長晟 (あさのながあきら)

生年月日:1586年1月28日
江戸時代前期の大名
1632年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の浅野長晟の言及

【安芸国】より

…旧国名。芸州。現在の広島県西半部。
【古代】
 山陽道に属する上国(《延喜式》)。7世紀中ごろまでこの地域は阿岐国造の勢力下にあったが,律令体制が整備されると安芸国がつくられ,698年(文武2)には安芸国という国名がみえる(《続日本紀》)。国府は,9世紀後期ごろには安芸郡にあったといい,現安芸郡府中町に所在したことがわかるが,律令制当初から安芸郡にあったのか,それとも国分寺・国分尼寺の遺跡がある賀茂郡の西条盆地にあったのかは,結論が出ていない。…

【浅野氏】より

…近世大名。外様。清和源氏頼光流土岐光時が尾張国丹羽郡浅野村に住して浅野氏を称し,その後裔長勝に起こるとする。長勝の婿養子が長吉(のち長政)で,織田信長に仕えたが,豊臣秀吉とは相婿であるため,豊臣政権では重んじられて五奉行の首座に列した。1587年(天正15)九州征討後,若狭一国を与えられ,文禄の役には軍監として朝鮮に渡り,功により93年(文禄2)嫡子幸長(よしなが)とともに甲斐国に移り21万石余を領した。…

【広島藩】より

…安芸国(広島県)広島に居城した外様大藩。毛利輝元が1589年(天正17)太田川河口デルタの地を広島と命名して築城に着手,翌々年吉田郡山城からここに移り,中国地方9ヵ国にまたがる大領国を支配する拠点と定めたのがその起りである。関ヶ原の戦後,毛利氏が周防,長門2国に削封されて去ったあと,広島城に入ったのは安芸,備後両国を領した福島正則である。福島氏は1601年(慶長6)検地を行い,さらに新開造成も加わり,毛利時代には両国で40万石余であったのが52万石余に増加し,17年(元和3)将軍徳川秀忠の朱印状では49万8000余石とある。…

※「浅野長晟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android