浜崎町
はまさきまち
本町筋七町の枝町で、慶安三年(一六五〇)徳山城下建設にとりかかった折、鮮魚供給のために藩内の下松(現下松市)、福川(現新南陽市)、富海(現防府市)の三浦に割り当てて移住させた漁戸一七軒に始まる。「徳山市史資料」所収の旧記抜書に、
<資料は省略されています>
とある。その後浜崎町は東西に分れ、さらにその枝町として船町ができたが、この船町の支配は別にされた。
寛保元年(一七四一)の徳山藩御領内町方目安(徳山毛利家文書)によれば東浜崎町は、町の長さ二町一〇間、家数三四、うち東側は一六(ほかに土蔵二)、西側一九、井戸八ヵ所(うち辻井戸二)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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