廻船(読み)カイセン

デジタル大辞泉 「廻船」の意味・読み・例文・類語

かい‐せん〔クワイ‐〕【×廻船/回船】

港から港へ旅客貨物を運んで回る船。中世以後に発達し、江戸時代には菱垣ひがき廻船たる廻船ほか西回り航路東回り航路、さらに北国廻船が成立して船による輸送網が発達した。

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精選版 日本国語大辞典 「廻船」の意味・読み・例文・類語

かい‐せんクヮイ‥【廻船】

  1. 〘 名詞 〙 鎌倉・室町時代以降、顕著な活動を示した、商品を売り廻る荷船の称で、近世以降では経営形態いかんにかかわらず、商品を輸送する海船を総称する。普通、二百石積以上を大型廻船として大廻しに用い、それ以下を小廻船として小廻しに用いた。経営形態には運賃積と買積とがあり、菱垣廻船樽廻船、城米積船などが前者を代表し、北前船、内海船などが後者を代表する。
    1. [初出の実例]「而希廻船之商人雖来着、全無之煩人」(出典:徴古雑抄‐和泉・建永元年(1206)九月・大鳥社神人等申文)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「廻船」の意味・わかりやすい解説

廻船
かいせん

商品を売って回る荷船の称で、「廻船」の語は鎌倉初期1206年(建永1)の文書に初めてみえる。商業がようやく盛んとなった鎌倉時代に、全国的な商品流通に応ずるため商品の海上輸送に従事する廻船が現れ、南北朝を経て室町時代になると、問丸(といまる)の発達とともにその活動はますます活発となり、海運は大いに隆盛となった。江戸時代になると、経営形態のいかんを問わず、貨物を輸送する海船を総称して廻船とよぶようになり、御座船や川船などとも区別した。普通200石積み以上の大型廻船を東廻(ひがしまわり)海運や西廻海運などの大廻(おおまわ)しに用い、それ以下を近距離航路の小廻し船とした。大型廻船はいわゆる千石船であるが、正式には弁才船(べんざいぶね/べざいせん)とかベザイ造りとよばれる、和船の代表的船型のものをさす。もともと日本の船は、おもに櫓(ろ)を漕(こ)いで進み、条件がよければ帆走する、というのが航法の原則であった。江戸前期も、まだ伊勢(いせ)船、二成(ふたなり)船、北国(ほっこく)船、羽賀瀬(はがせ)船などのローカルな大型廻船が主力をなし、いずれも帆走の比重を高めていたとはいえ、風の悪いときの櫓走は必須(ひっす)のものであった。したがって漕ぎ手としての水主(かこ)を多数必要とし、1000石積みで20人から25人くらいを乗り組ませていた。しかし17世紀末ごろから瀬戸内海で発達してきた弁才船が、帆走専用の荷船として広く用いられるようになり、これらローカル船をしだいに駆逐していった。弁才船は、1000石積みで水主15人前後にまで省力化でき、江戸後期には横風や逆風時の帆走技術も上達して、航海速力を著しく向上させた。江戸―大坂間を頻繁に往復した菱垣(ひがき)廻船や樽(たる)廻船、また北海道と大坂との間を往来した北前船(きたまえぶね)などは、その代表的なものであった。菱垣廻船や樽廻船は、300石積みの廻船から出発し、当初江戸―大坂間を平均30日くらい要したが、幕末期には1500石積みから1800石積みにまで大型化し、その所要日数も平均12~13日、順風のときは3、4日にまでスピードアップした。しかもその稼働率も、年平均4往復から8往復にまで倍増して、江戸―大坂間の商品流通量を増大させた。

 廻船の経営形態については、運賃積みと買い積みとがあり、菱垣廻船、樽廻船、御城米積船などは前者を、北前船などは後者を代表した。明治以後は汽船に圧倒されて、東京―大阪間の菱垣廻船や樽廻船は明治10年以後しだいにその姿を消していったが、日本海、瀬戸内海を往来した北前船は明治30~40年まで活躍した。

[柚木 学]

『須藤利一編著『船』(1968・法政大学出版局)』『豊田武・児玉幸多編『交通史』(1970・山川出版社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「廻船」の意味・わかりやすい解説

廻(回)船 (かいせん)

中世以降見られる用語で,おそらく各地を回遊する船,各地を移動する船などの意味で,当時比較的動きの少ない漁船等を除く輸送船をさし,とくに商品を積んだ商船を意味する場合が多いようである。廻船の初見は今のところ,鎌倉初期の1206年(建永1)で,当時和泉大鳥郷高石正里浦にまれに廻船の商人が来着するとあり,この場合の廻船は,商人と関係深い商船を指している。さらに1340年(興国1・暦応3),足利尊氏は,兵粮料足として,西国運送船ならびに廻船より櫓別100文ずつの関税を兵庫において徴しているが,この廻船もまた運送船に対する商船と解される。じっさいこの関税に抗議して,諸国諸廻船人が連署で嘆願しているが,この諸廻船人は別に〈彼商人〉と記されているのである。さらにその後1414年(応永21),大工丹治念性が,肥後玉名郡大野別府中村にある薬師如来等の修理料として,同所に往返する廻船の鉄物(鉄製品)を徴収して寄進すると述べている。九州で鉄類を荘園年貢等とする例は見られないから,この鉄物は商品と見られる。

 以上によれば,廻船には商人が乗り組み,積荷は商品であり,したがって廻船は商船と解される。しかし,中世の廻船には商船に限らず,より広義の用例もあり,室町初期成立の《庭訓往来》は,廻船および廻船人を,広く商品を含んだ運送船およびその船乗りの意に用いているようであるが,この用例はほかにも散見される。さらにその後,戦国時代の大内氏の掟書には,廻船・商売船と併記したものもあり,この場合の廻船は商売船とは別個のようである。以上のように中世において,廻船は必ずしも商船のみとは判定しがたいが,荘園の衰退に伴い,年貢船が減り各所を回遊する船といえば,商船が主となるから,とくに中世後期には廻船の大半は商船であるといえよう。その用例が,近世の菱垣(ひがき)廻船樽廻船等の商船に残ったといえる。
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百科事典マイペディア 「廻船」の意味・わかりやすい解説

廻(回)船【かいせん】

貨物の海上輸送に当たる船。中世以降史料にあらわれ,江戸時代には沿岸航路の開発発展とともに米穀などの大量遠隔地輸送の主力として活躍。大坂〜江戸間の菱垣廻船樽廻船,大坂と日本海沿岸各地を結ぶ北前船その他大坂を中心に全国的規模で発展し,回船問屋が各地にできた。20石積みから1500石を越すものまで多種ある。
→関連項目伊勢商人糸荷廻船浦賀番所廻米千石船船頭船宿

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「廻船」の意味・わかりやすい解説

廻船
かいせん

江戸時代,沿海定期航路に就航した大型貨物船 (廻漕船) 。起源は中世にさかのぼるが,当初は行商船をさした。江戸時代に入ると,商品流通の展開と相まって全国的規模に発展した。おもなものに江戸-大坂の菱垣廻船 (ひがきかいせん) ,樽廻船,東北地方の城米を江戸に運んだ奥羽廻船,北陸,蝦夷地の海産物,肥料を大坂に運んだ北国廻船 (→北前船 ) などがあり,地方には地廻 (じまわり) 廻船があった。なかでも菱垣,樽両廻船は隆盛をきわめ,単に廻船といえば両者をさすほどであった。江戸時代おもな物資輸送機関であったこれらの廻船も,明治以降,汽船,鉄道の出現により次第に衰えた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「廻船」の解説

廻船
かいせん

鎌倉時代以降,各地で商品を売りまわる荷船。商船(あきないぶね)・荷船も同義。近世以降は,経営形態を問わず商品を輸送する海船一般を称した。菱垣(ひがき)廻船・樽(たる)廻船が江戸―大坂間の廻漕に活躍する一方,江戸幕府や藩などの雇船を中心に海運機構が整備された。これらは運賃積だが,江戸中・後期には,雇船体制から独立し成長した中小の廻船業者による買積船の活動が活発化した。化政期に全盛を迎えるが,その代表が北前船(きたまえぶね)である。

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旺文社日本史事典 三訂版 「廻船」の解説

廻船
かいせん

江戸時代,海上輸送に従事する大型船
物資輸送は海上を利とするので,鎌倉末期から出現,しだいに増加した。特に江戸時代は定期船として沿岸航路に就航し,年貢米その他商品輸送に活躍。江戸・上方航路の菱垣廻船・樽廻船,北国廻船(北前船)をはじめ全国的に発達した。

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世界大百科事典(旧版)内の廻船の言及

【浦廻船(浦回船)】より

…江戸時代に全国津々浦々に発達した廻船。江戸と大坂との間の海運に従事した〈菱垣廻船〉と〈樽廻船〉,日本海方面から津軽海峡を経て江戸に至る〈東廻海運〉,おなじく日本海方面から下関海峡を経て大坂に至る〈西廻海運〉のように基幹航路に就航した廻船に対して,浦廻船は,地方の産物を城下町や江戸・大坂のような大市場に運ぶとともに,そこに集まった物資を逆に地方に配給していくうえで重要な役割を果たした。…

【海損】より

…海損の有無は運不運であったから,運まかせの運送契約から生まれた慣行である。そして江戸時代にも廻船が公儀および武家荷物を運送する場合に慣行とされ,また町人荷物と積合にする場合にも適用され,船主対武家は単独海損,船主対町人は共同海損として処理することを原則とした。共同海損は,中世は配当といい,14世紀初めの南北朝ころにはすでに行われ,中世後半からは《廻船式目》や海路諸法度にも,その方法に関する条文が見え,民間商船において慣行とされていた。…

【海難】より

…近世になると経済圏が全国的に拡大し,流通物資の大半がもっぱら船舶運送にゆだねられ,海上交通量がきわめて多くなった。廻船と呼ばれた日本型船(和船)は,幕府法に造船法規がないにもかかわらず,近世初期の型が墨守され,改善されることがなく,一本帆柱の横帆,横流れを防ぐ効果はあるが吊上げ式の巨大な梶(かじ)は,逆風時難航を余儀なくされ,梶の破損が多かった。船倉は船体の中央前半を占めたが,船底から積上げ式であり,甲板がないため,高波が打ち込み濡れ荷になりやすく,さらに水船となり,沈没の危険が多かった。…

【荷船】より

…種々の貨物を海上輸送する船のこと。限られた小地域内を輸送航行する地船,地乗りと,広域を搬送する廻船,渡海船,あるいは沖乗りの区別がある。地船には,それぞれ活動する地域の名称を冠したものが多いが,なかでも尼崎船,明石船,丹後船,若狭船,尾道船,筑前船,神崎船などが有名である。…

【船宿】より

…江戸時代から明治前半にかけて,全国の廻(回)船の寄港地にあった乗組員の宿屋のこと。当時の回船は港ごとに船宿が決まっていた。…

※「廻船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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