浜田浦
はまだうら
[現在地名]浜田市元浜町
現在の浜田漁港にあたり、近世の原井村の内。浜田城下に接し、松原浦とともに浜田藩の直浦として浦大年寄の支配下にあった。明代の一五七七年成立の「図書編」に石見五港の一として「番馬塔」がみえ、浜田のこととされるが、当浦にあたるかどうかは不詳。「増補日本汐路之記」には「石州浜田上下大湊 湯の津へ一〇里、松平周防守殿御城下知行五万石」とある。元和五年(一六一九)の古田領舟役加子役帳では、当浦分として九〇石積二、八五石積一、八〇石積二、七〇石積一、六〇石積六、五〇石積二、四七石積一、四〇石積一の合計一六艘の船があげられ、加子四九人の名がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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