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海難 かいなんshipwreck

翻訳|shipwreck

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

海難
かいなん
shipwreck

一般的には,平時,海上およびその隣接水域における船舶について生じた事故で,船舶,積荷,人に損傷を生じるものをいう。救助を要する場合の海難は,第三者の援助をまたなければ船舶または積荷の損失もしくは人の死傷を防ぎえない程度の状態の危険をいう。また海難審判法でも海難の定義を特に定めている。海難には船舶の衝突,乗上げ,火災沈没のほか,エンジンや操舵機の事故なども含まれる。船舶が巨大化したため,海難に伴う海上損害も巨大化し,大きな海難が発生すると海難防止制度や海上保険制度に大きな影響を与えるようになった。 (→海難審判 )  

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デジタル大辞泉の解説

かい‐なん【海難】

船が航海中に起こる事故。沈没・転覆座礁漂流・衝突・火災など。

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百科事典マイペディアの解説

海難【かいなん】

航海上,船舶および積荷が危険に遭遇し,救助を必要とする状態になること。海難審判法上では,船舶自身の損傷のほかに,関連施設の損傷,人の死傷,船舶の安全・運航の阻害を含める。
→関連項目海難審判海難審判庁共同海損交通事故

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世界大百科事典 第2版の解説

かいなん【海難】

船舶の航行に関連して,船舶,積荷,人命が海上において遭遇する危険な状態をひろく指称する。海難審判法(1947公布)では,次のいずれかに該当する場合に,海難が発生したものとしている(2条)。(1)船舶に損傷を生じたとき,または船舶の運用に関連して船舶以外の施設に損傷を生じたとき,(2)船舶の構造,設備または運用に関連して人に死傷を生じたとき,(3)船舶の安全または運航が阻害されたとき。なお,商法に規定のある海難救助制度(800~814条)のもとでの海難とは,船員が自力をもっては克服することができない程度の海の危険をいうと,学説・判例で考えられている。

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大辞林 第三版の解説

かいなん【海難】

事故などのために、航行中の船舶の船体・人命・積み荷などに生じる危難。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

海難
かいなん

海における災害の総称であるが、学問的には船舶、貨物および在船者(船員、旅客および訪船者)が、個々にもしくは同時に受ける危険または事故をいう。海難は衝突、乗揚げ、遭難、行方不明、沈没、浸水、転覆、滅失、火災、機関損傷および傷害などに分類される。衝突は接触を、乗揚げは座礁、擱座(かくざ)、座州(ざす)および底触などをそれぞれ包有している。
 海難審判法(昭和22年法律135号)は、
(1)船舶に損傷を生じたとき、または船舶の運用に関連して船舶以外の施設に損傷を生じたとき、
(2)船舶の構造、設備または運用に関連して人に死傷を生じたとき、
(3)船舶の安全または運航が阻害されたとき、
海難が発生したと定めている。
 「運用に関連して」とは、航行、停泊、入渠(にゅうきょ)など船舶をその目的に沿って使用しているすべての場合をいい、施設とは岸壁、防波堤または航路標識などをいう。「安全が阻害された」とは、海上交通法規(海上衝突予防法=昭和52年6月1日法律第62号、海上交通安全法=昭和47年7月3日法律第115号および港則法=昭和23年7月15日法律第174号)および船員法(昭和22年9月1日法律第100号)等の違反その他の理由により、船舶が海難を引き起こすおそれのある状態を生じたことをいう。「運航が阻害された」とは、貨物の積付け不良または荷崩れなどのため船体が傾斜し、航海を中断(寄港など)して貨物を積み換える場合、船体の損傷を伴わない乗揚げで航海を中断した場合、燃料や清水などの積込み不足のため運航不能に陥った場合、法規違反のため船舶の運航を停止または正常な運航を妨げる状態を生じた場合をいう。
 船長は、次の場合には、船員法に定めるところにより地方運輸局の事務所もしくは指定市町村長または領事館に報告(海難報告)し、船長または船舶所有者は報告した当該事実について、航海日誌を呈示のうえ証明を求めることができる。
(1)船舶の衝突、乗揚げ、沈没、火災、機関の損傷その他の海難が発生したとき。
(2)人命または船舶の救助に従事したとき。
(3)無線電信によって知ったときを除いて、航行中他の船舶の遭難を知ったとき。
(4)船内にある者が死亡し、または行方不明となったとき。
(5)予定の航路を変更したとき。
(6)船舶が抑留され、または捕獲されたときその他船舶に関し著しい事故があったとき。[新谷文雄]

海難事例

1912年4月10日イギリスのサザンプトンから、大西洋横断の処女航海でニューヨークに向かった豪華旅客船タイタニック号が、4月14日午後11時40分ころ、ニューファンドランド沖で氷山に衝突し、約2時間半後に沈没した。乗客・乗員2224人のうち1513人が死亡し、世界に大きな衝撃を与えた。同船は約4万6329総トン、主機関出力5万5000馬力、最高速力22ノット、船体は二重底構造の「不沈船」とよばれた最新鋭船であった。事故の原因は、氷山情報入手の不手際、救命艇の不足と取扱いの未熟さなどにあるとされた。この事故の教訓を海難防止対策に生かすため、翌13年ロンドンで主要海運国が参加して国際会議を開き、「海上における人命の安全のための国際条約」(通称海上人命安全条約またはソーラス条約)が採択され、その後29年、48年および60年にそれぞれ改正された。日本も当該国際条約に基づいて関係法令を整理し、1933年に船舶安全法(昭和8年法律11号)を公布した。以後、国際条約を考慮して改正を重ねてきた。1998年8月10日、ニューファンドランド島の南東約600キロメートルの海底(水深約4000メートル)からタイタニック号の船体より約16キロメートル離れていた同号の右舷(うげん)外板の一部(一等船客室、重さ約20トン)が、86年振りに引揚げられた。
 1954年(昭和29)9月台風15号が来襲して、函館(はこだて)港防波堤外に避泊していた青函(せいかん)連絡船洞爺(とうや)丸が、瞬間最大風速58メートルの暴風と波浪に翻弄(ほんろう)され、錨(いかり)が引きずられて七重浜(ななえはま)沖の浅瀬に乗揚げて転覆し、旅客と乗組員1314人のうち1155人が死亡した(洞爺丸事件)。このほか同じ海域に避泊していた青函連絡貨物船日高丸、十勝(とかち)丸、北見丸および第一青函丸も沈没し、乗組員275人が船と運命をともにし、世界海難史上希有(けう)の惨事となった。
 1967年3月大型タンカー、トリー・キャニオン号(11万8285重量トン、リベリア船籍)が、イギリス南西のセブン・ストン群島の岩礁に乗揚げて船体が折れた(トリー・キャニオン号事件)。積荷の11万8000トンの原油のうち5万8000トンが流出し、最大の厚さ約40センチメートルの原油がイギリスの海岸線約160キロメートルに漂着し、また遠くフランス西海岸まで広く汚染した。3月28日ト号の残骸(ざんがい)の原油を処理するため、イギリス海軍機が爆弾を投下して炎上させた。このため火災の危険、海水汚濁、漁業災害など約100億円の損害を生じ、広範囲に多様な公害を発生させた巨大タンカーの海難として、世界の注目を集めた。このため74年11月ロンドンの政府間海事協議機関(現国際海事機関IMO)で、「1974年ソーラスの改正条約」が採択され、その後数次にわたる改正が行われた。これに基づいて日本でも関係法令を改正してきた。
 1969年1月5日、鉱石運搬船ぼりばあ丸(3万3768トン、鉄鉱石を満載、乗組員33人)が日本に向かって航行中、北緯33度、東経144度36分付近(房総半島野島埼灯台の南東約500キロメートル)で突然第2番倉付近が折損して沈没し、乗組員32人が死亡した(ぼりばあ丸事件)。翌年同種のかりふぉるにあ丸(3万4002総トン、乗組員29人)がロサンゼルスでカイザーペレットを満載して、日本に向かって航行中、2月9日午後10時ごろ突然左舷1番バラストタンク付近の船側外板に破口を生じ、北緯35度10分、東経143度55分付近で浸水して沈没し、船長ほか4人の乗組員が死亡した。
 過去十数年間に、日本の東方海域(北緯31~36度、東経143~160度、野島崎から約360~2000キロメートル)で12隻の大型船の事故が相次いで発生した。これらの事故は、冬型の西高東低の気圧配置で、西寄りの強風が卓越する時期に発生し、またこの海域では、北上した黒潮が東に大きく蛇行し、水温17~20℃、気温0~5℃と両者の温度差が大きく、海面の安定度がきわめて悪いところへ冷たい強風が吹き込んで予想を超える大波が生じたためとされている。1980年12月尾道(おのみち)丸が、波高7~8メートルのなかを約5ノットの速力で航行中、突然正船首方向から高さ15メートルの大波が襲い、スラミング(船が波の頂きに乗り、船底を波がたたく)と同時に多量の海水が打ち込み、船首部が折損したことが判明した。日本は、この海域における異常波浪を解明するために調査を行った。
 1974年11月9日午後1時37分少し前、東京湾北部の中ノ瀬航路を北上中の危険物タンク船第拾雄洋丸(4万3723総トン、LPG満載)が、同航路の北口付近で、鋼材を満載したパシフィック・アレス(1万0874総トン、リベリア船籍)と衝突して爆発炎上した。パ号は船首部が圧壊され、雄洋丸からの火災に包まれて大火災を起こし、乗組員29人中28人が死亡し、1人がやけどを負った。雄洋丸は乗組員5人が死亡し、7人がやけどを負い、有効な消火がなされないまま乗揚げて燃え続け、同船の残骸は、湾外に引き出されて砲・爆・雷撃を加えられて撃沈したが、事故発生から19日間を要する大惨事となり、大型タンカー事故の凄絶(せいぜつ)さを実見させられた。
 1976年末から77年春にかけて、アメリカ沿岸で約15件のタンカーの海難が発生し、77年3月カーター大統領がタンカーの規制強化を内容とした声明を発表した。翌年2月ロンドンで「タンカーの安全および汚染に関する国際会議」が開かれ、日本を含めて62か国が参加し、1974年のソーラス条約に関する議定書を採択した。また、海難は船員の過失によるものが多く、世界の船員の資質向上を図るため、78年「船員の訓練、資格証明および当直維持の基準に関する国際条約」(STCW条約)が採択され、日本もこれを批准し、82年(昭和57)に関係法令を改正した。
 1978年3月16日夜、ペルシア湾からイギリスに向かって航行中のタンカー、アモコ・カジス(23万3000DWT=載貨重量トン、リベリア船籍、乗組員44人)が、フランスのブレスト港沖で座礁して船尾が折れ、約17万トンの原油が流失してブルターニュの北岸200キロメートルを汚染し、座礁地点から200キロメートル離れたコタンタン半島西岸から英仏海峡内の約2000平方キロメートルの海域に漂着した。24日船体が真二つに裂けて船尾が沈み、残油5万トンが流失し始め、29日フランス海軍のヘリコプターが小型機雷12発を投下して残骸を爆破した。
 1980年7月10日カナダのセプト・アイスル港に到着したダービシャー号(9万1654総トン、長さ294メートル、イギリス籍)は、直径2ミリメートル以下の微粉精鉱を15万7466トン積載し、同日川崎港に向けて出港した。同号は、8月8日ケープタウン沖でヘリコプターによる補給および交代した乗組員とその妻2人を含む44人を乗船させて航行中、9月3日ミンダナオ島の南方で熱帯低気圧の情報を入手した。同低気圧は6日に台風オーチドになり、同号はオーチドに巻き込まれて9月9日午前9時30分(世界時)船主に向けて、「本船は荒天に遭遇して難航中であるが、9月14日川崎着の予定」と打電し、その後遭難通信を発することなく消息を絶った。1994年5月末から海洋調査船「しんかい6500」がソナーにより591平方キロメートルにわたる海底を調査し、6月2日、水深約4250メートルに散乱していた船名のついた船首部分を含む残骸を確認した。その後、イギリスの運輸大臣は欧州委員会およびアメリカの協力を得て、96年6月に第1段階のソナーによる調査を実施し、残骸が散乱している海底付近の地図が作成された。97年3月から4月にかけて第2段階のソナーによる調査が実施され、確認できた69の残骸について200時間に及ぶ接近したビデオ映像が撮影された。その調査に基づいて検討された結果、同号の前部甲板に打ち上げた大波が開口部から流入し、その後ハッチカバーが波浪の衝撃により破壊されて第1船倉に浸水したと推定され、同号は沖縄の東方海域(北緯25度52分、東経133度32分)に沈没したことが確認された。
 1987年12月20日夜、マニラ南方約150キロメートルのダブラス海峡(マリンドケ島とミンドロ島間)で、フィリピン内航フェリー、ドニャパス(2215総トン、旅客定員1493人)と同国籍のタンカー、ビクトル(629総トン、石油8800バレル積載、乗組員14人)が衝突し、炎上して沈没した。マニラ救助調整センターは、ドニャパスには乗組員47人と旅客1583人(乗客名簿)が乗船していたと発表したが、両船の生存者は、ドニャパスの旅客4人とビクトルの乗組員2人に過ぎなかった。事故当時は、クリスマスと年末を控えて3000人ぐらい乗船していたのではないかといわれた。ドニャパスは、日本で約10年間ひめゆり丸として使用されたが、当時、旅客定員は680人であった。
 1989年3月23日午後9時30分にエクソン・バルデイズ(21万4859重量トン)はバルディスターミナルを出帆した。午後11時30分ごろ水先人が下船し、船長は流氷があるため許可を得て入航航路を進行した。同11時51分ごろ三等航海士が操船中、本船はブライ島の暗礁に乗揚げ、自力離礁に失敗して約4万1000キロリットルの原油を流出した。流出油は湾外にまで広がって1700キロメートル以上の海岸線を汚染し、生物の死等の汚染損害は約45億ドルに達し、エクソン社は20億ドルの被害を受けた。
 1994年9月27日午後7時15分にエストニアの首都タリンからスウェーデンのストックホルムに向けて出港した旅客フェリー船エストニア号(1万5586総トン)は、ほぼ航程なかばに達したころ、約18~20メートルの南西風が吹くなかを左舷船首に向かい波を受けて、約14ノットの全速力で航行していた。翌28日午前1時ごろ船首バイザー(船首開口部から自動平等を誘導積載した後、開口部を閉じる扉の一種)を襲った大波の衝撃により、バイザーのヒンジ(上下左右に動かないが回転自在の接合部)部分と固定金具が破損し、バイザーが前方に押し出されてランプウェイに接触し、ランプウェイが部分的に開放されて大量の海水がカーデッキに流れ込んだ(エストニア号事件)。このため船体が右舷に15度以上傾斜し、同1時25分ごろには傾斜が40度以上に達して機関が停止し、漂流しながら船尾から沈み始め、同1時34分ごろには傾斜が80度以上に達し、1時50分ごろ同号はバルト海の北部の海面から姿を消した。当時、同号には旅客802人および乗組員186人が乗船しており、わずかに137人(13.9%)が救助されたにすぎなかった。
 本件では(1)バイザーの異常の発見が遅れ(船橋に設置されていたバイザー表示灯がバイザーの異常を表示しなかった)、(2)船体の傾斜が30度に達するまでの時間が早過ぎて、船内からの脱出が困難となり、(3)救命設備が役に立たず、(4)遭難信号を聴取していた無線局がなく、人為的ミス、構造上の欠陥および救助の遅れなどが被害を拡大させた。同号は、1987年3月6日午後7時50分ごろセーブルック港(ベルギー)を出て桟橋から約800メートル離れた防波堤付近で横転し、死者および行方不明者164人ならびに負傷者100人を出した同型船のヘラルド・オブ・エンタプライズ(7960総トン、乗組員80人、旅客463人)の教訓を生かしていなかった。
 1997年1月2日未明、上海からロシアのトロパブロスクへ向けて航行中のナホトカ号(1万3157総トン、ロシア国籍)が、隠岐諸島の北東約106キロメートルの海上で突然船体が折損して船尾部が沈没し、折損部から重油約6200キロリットル(推定)が流出し、船首部(2800キロリットルの残油)は7日午後福井県坂井(さかい)市三国町地区の安島(あんとう)岬沖に漂着した(ナホトカ号重油流出事故)。流出油は日本海側の1府8県(島根県から秋田県)に漂着し、災害発生後約3か月間に、延べ約27万人のボランティアが油の回収作業に従事した。
 1997年7月2日午前10時05分ごろ、ダイヤモンドグレース(14万7012総トン)が横浜市本牧(ほんもく)沖約6キロメートルで底触して原油約1550キロリットルを流出し、翌3日には油が南北約5キロメートル、東西約18キロメートルに拡散し、約330隻の船舶が動員されてその処理にあたった。
 1997年10月15日午後9時ごろタンカー、オランピン・グローバル(12万9703総トン、タイ船籍)とタンカー、エポイコス(7万5428総トン、キプロス船籍)が、シンガポールの南5キロメートルの海峡内で衝突し、エポイコスから積荷の一部約2万5000トンの原油が流失した。38隻の船舶が日本、アメリカおよびオーストラリアなどの協力を得て油の回収にあたった。油は付近の島からマレーシアおよびインドネシアの領海を汚染し、事故から1週間後にマラッカ海峡南部に約33キロメートルにわたる油の帯が発見された。油の流出量はナホトカ号の約4倍に達した。
 わが国において、1997年に発生した海難は7703件、関係船舶数が8881隻で、これを種類別に見ると、乗揚げの1480件(19.2%)、衝突の1824件(23.7%)および遭難の3084件(40.0%)が目だち、これらが全体の約83%を占めている。関係船舶の種類別をみると、貨物船の3458隻(38.9%)、漁船の1515隻(17.2%)、油送船の1094隻(19.1%)、引き船の845隻(9.5%)および旅客船の792隻(8.9%)の順となっている。過去5年間における件数および隻数の推移をみると減少傾向が続いている()。[新谷文雄]

原因究明

海難が発生すると、同種の海難の再発を防止するために海難の原因を究明する海難審判(裁判)制度がある。わが国における同制度は、海難審判庁(二審制、高等海難審判庁1、地方海難審判庁7および海難審判理事所1、地方海難審判理事所7)が準司法手続きによる審判により海難の原因を明らかにし、海難が海技従事者(船舶職員及び小型船舶操縦者法により承認を受けた者を含む)または水先人の職務上の故意または過失によって発生したものであるときは懲戒を課し、その他海難の原因に関係がある者に対し勧告を行う。審判前の手続きおよび裁決の執行は、理事所の理事官が担当する。
 海難を引き起こす原因は、人的要因(乗組員の資質、操船および機器の操作ミス)、船舶要因(構造および機器の欠陥)および環境要因(航行水域における気象、海象等)に大別される。1997年(平成9)には地方海難審判庁が762件、1055隻の船舶を対象に審判を行い、海難原因として29項目、原因数として1463が裁決された。このうち、主要な原因は、見張り不十分(30.4%)、航法不遵守(12.2%)ならびに服務に関する指揮および監督の不適切(8.1%)である。
 340件の衝突事件においては、見張り不十分(47.4%)、航法不遵守(19.3%)および信号不吹鳴(9.8%)等が主因とされている。見張り不十分な436隻の船舶のうち、衝突直前まで相手船を認めていなかった船舶が316隻(72.5%)もあり、その他は、衝突のおそれを確認しない船舶および相手船が避けると臆断(おくだん)した船舶である。168件の乗揚げ事件においては、居眠り(29.6%)、船位不確認(21.4%)および水路調査不十分(12.6%)が主因とされている。居眠りが原因とされた61隻の船舶は、深夜から早朝にかけて乗揚げており、そのうち48隻の船舶が自動操舵装置を使用していた。
 近年、エネルギーおよび旅客の大量輸送に伴って発生する海難は凄惨(せいさん)を極め、とくに流出油などの事故が海洋環境に与える影響が注目されてきた。このため、各国が自国およびその周辺海域で発生した海難について、沿岸関係国などが協力して原因を究明してその再発を防止する必要性が提唱された。IMOにおいて1968年、1979年および1989年に海難の調査(情報交換、調査協力)に関する決議がなされたが、1997年11月27日IMO第20回総会において、海難調査に関する国際協力を目的とした「海難および海上インシデントの調査のためのコード」が決議され、同コードの履行について各国が国内法との調整を図るため検討している。
 同コードは、
(1)各国が事故調査の手法を国内法の許容限度内で採用する、
(2)事故関連事実や原因を確認して公表し、適切な勧告等を行う、
(3)海難調査は利害関係国の協力により、他の刑事上の調査などと同等の優先権をもって、海難調査官が政府職員等および海難関係人をインタビューでき、かつVDR(航海記録器)等の資料を利用でき、また旗国、船主および船級協会等が所有している船舶の明細および検査記録等を入手できる、
(4)公海上で2隻の船舶間に衝突事故等が発生したとき、両旗国間でいずれが調査主導国となるかを決め、調査主導国は、調査の共通の方策を策定し、収集した証拠および質問記録等を保管し、利害関係国の意見を聴取して調査報告書を準備する、
(5)2国以上の国が調査に同意したとき、調査実施国は、他の利害関係国の代表を調査に参加させ、証人または他の証拠を提供し、証人尋問、証拠の閲覧および文書類の謄写を可能にし、かつ調査に関する記録の謄本、ステートメントおよび報告書を提供する、
(6)報告書には、事故の概要(死者、負傷者または汚染の有無を含む)、旗国、船主、船社および船級協会を明示し、かつ船舶の詳細、乗組員の勤務形態、事実の口述、事故原因を認定するに至った経緯および同種の事故を防止するための勧告等を含める、
ことを定めている。[新谷文雄]

海難防止

海難防止と安全運航とは表裏一体の関係にあり、船舶がその使用目的を達成するには海難防止が不可欠である。海上交通法規および関係法令の遵守と船舶の運航技術の向上が、海難防止に大きく寄与する。船員法は、船長が最高技術と指揮命令権(船内にあるものに対し、自己の職務を行うのに必要な命令をする)を駆使することにより、海難を防止して安全運航を担保するため、次の義務を船長に課している(船長の義務)。
〔1〕在船義務 やむをえない場合または船長にかわって船舶を指揮する者に委任したあとでなければ、貨物および旅客を積載中は、船舶を去ってはならない。
〔2〕甲板上の指揮 危険が発生しやすい水域を航行するときは、船長が自ら甲板上にあって指揮する。
〔3〕船舶に危険がある場合の措置 船長は自船に急迫した危険があるときは、人命、船舶および積荷の救助に必要な手段を尽くす。
〔4〕発航前の検査 船舶が発港するとき、航海に支障がないよう次の事項について検査する(堪航(たんこう)性の確保)。
(1)船体、機関および排水設備、操舵(そうだ)設備、揚錨(ようびょう)設備、救命設備、無線設備その他が整備されていること。
(2)積載物の積付けが船舶の安定性を損なう状況にないこと。
(3)喫水の状況から判断して、船舶の安全性が保たれていること。
(4)燃料、食料、清水、医薬品、船用品その他の航海に必要な物品が積み込まれていること。
(5)水路図誌その他の航海に必要な図誌が整備されていること。
(6)気象通報、水路通報その他の航海に必要な情報が収集されており、それらの情報から判断して航海に支障がないこと。
(7)航海に必要な員数の乗組員が乗り組み、かつ、それらの乗組員の健康状態が良好であること。
(8)そのほか、航海を支障なく成就するため、必要な準備が整っていること。
〔5〕水密の保持 船舶の浸水を防止するため、
(1)貨物倉などを区画する水密隔壁の水密戸および甲板に取り付けたランプならびに舷門(げんもん)、載貨門および載貨扉(安全装置を作動)を航行中は閉鎖する。
(2)航行中に近寄りがたい舷窓(げんそう)を水密に閉じ、必要あれば施錠する。
(3)そのほかの開口部を閉鎖し、海員を監督して船舶を水密に保持する。
(4)外航旅客船は、水密戸および同表示器などの装置、区画室の水密弁ならびに損傷制御用クロス連結管の操作用弁を毎週点検し、主横置隔壁の動力式水密戸を毎日作動点検する。
〔6〕非常配置表および操練 旅客船ならびに近海区域または遠洋区域を航行する船舶(漁船も含む)の船長は、海難等の非常の場合における海員の作業(水密保持のための水密戸等の閉鎖および排水作業、防火戸等の防火設備の操作その他の消火作業、食料および航海用具等の救命艇等への搬入ならびに救命艇等および救助艇の操練、救命索発射器等の救命設備の操作、旅客の招集および誘導)配置および信号等を非常配置表に定めて船員室などの適当な場所に掲示し、防火、救助艇、防水および非常操舵の各操練を定期的に実施する。
〔7〕巡視制度 船長は、旅客船においては火災などを予防するため、さらにロールオン・ロールオフ(フェリーなどがトラックなどをそのまま乗降させられることをいう)旅客船においてはロールオン・ロールオフ貨物区域もしくは車両区域における貨物の移動または同区域への立入者を監視するため、それぞれ巡視制度を設ける。
 ソーラス条約第5章は、「航行の安全」と題して気象通報、遭難通報および第8-1規則の「船舶通報制度」等を定めている。同制度は、海上における人命の安全、航行の安全および能率ならびに海洋環境の保護に寄与するために締約国によって樹立され、かつIMOが第8-1規則に基づいて作成する指針および規準に従って採択される。同制度は、船舶、特定の種類の船舶または特定の貨物を運送する船舶が、国際的な指針、規準および規則により、相互に交信して、情報による船舶の航行の支援を受け、当該船舶の船長は、権限ある当局から要求されるすべての情報を提供し、相互に協力して船舶の安全航行を図る。
 IMOは、海難の防止を図るためには、船社の陸上組織と船舶が一体となって全社的に取組む必要があることを認め、1994年4月にソーラス条約第9章(船舶の安全管理)に国際安全管理(ISM)コードを規定し、船社は、同コードの要請をみたす安全管理システムを定めて遵守することになった。同コードは、国際航海に従事する旅客船、500総トン以上のタンカーおよびバルカー(ばら積み運送船)等に98年7月1日から適用され、その他の船舶には2002年7月1日から適用される。また、船員の資質の向上を図るために、1995年STCW条約を改正してその最新化を図り、2002年2月1日に発効することになっている。そのほかソーラス条約は、その付属書において船体の構造(区画および復原性ならびに機関および電気設備)、防火および消火設備、救命設備、無線通信、貨物および危険物の運送等について詳細に定めている。[新谷文雄]

海難発生時の措置

船長は、
(1)海難が発生したとき、事故の状況と自船で処置できるかを調査し、被害を最小限度に食い止める措置(防火、防水等)を講ずる。急迫した危険があるときは、人命の救助ならびに船舶および積荷の救助に必要な手段を尽くす。外部の救助を求める必要があるときは、船名、船位、事故の概要、救助に対する希望等を、船主および海上保安機関もしくは救助調整センターまたは付近の船舶に通報する。
(2)他の船舶の交通の危険がない海域に自船を移動させ、沈没したときはその船位を示す標識等を設置する。
(3)船舶が衝突したときは、自船に急迫した危険があるときを除き、互いに人命および船舶の救助に必要な手段を尽くし、かつ船名、所有者、船籍港、発航港および到達港を告げる。また鑑定人を依頼し、相手船の鑑定人とともに双方の損害を検査させて報告書を作成する。
(4)他の船舶または航空機の遭難を知ったときは、人命の救助に必要な手段を尽くす。
などの義務がある。
 IMOは、1979年の海上捜索救助に関する国際条約(SAR条約)およびIMO救助捜索救助便覧を採択して、同条約(便覧)にはSAR機関(構成、業務計画、部隊‐航空、海上および沿岸、補給物品および救命装備品、通信の実施および手続、船位通報制度)およびSAR手続(海上における捜索救助、通信、捜索区域の設定、捜索技術、捜索の実施、生存者の救助、緊急援助等)等について詳細に定めているので、捜索救助を要請するときにはこれらを参照する必要がある。
 遭難して救助を求める信号は、海上衝突予防法等に定められているが、衛星等を利用して海難救助および航行安全に資する通信システムであるGMDSS(海上における遭難および安全に関する世界的な制度)に関する無線設備等の設置が、1999年2月1日から完全に実施された。また退船するときは、遭難者の位置を特定することを目的とした救命設備でもあるEPIRB(極軌道衛星利用非常用位置指示無線標識装置)を救命筏(いかだ)に携行する。[新谷文雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の海難の言及

【漂流】より

…昔から難船漂流の悲劇は洋の東西を問わずきわめて多い。漂流には学術上の目的で行ったものと,海難事故によるものがあり,前者では1947年T.ヘイエルダールが人類学上の自説を立証するため,〈コン・ティキ号〉と名づけたいかだで太平洋横断を決行した例(《コン・ティキ号探検記》),52年アラン・ボンバールが海の魚とプランクトンだけを食べ,海水と雨水で渇きをしのぎ,単身〈異端者号〉と名づけたゴムボートで大西洋横断漂流に成功した例(《実験漂流記》),日本では数次の漂流実験後,75年斎藤実が〈ヘノカッパII世号〉でサイパン島から沖縄に向かって漂流実験した例(〈漂流実験〉)などが著名である。 四面環海の日本では後者の海難漂流が多く,古くは7世紀の遣唐使船の漂流以来,その例が多く,とくに近世には大量に発生した。…

【分一】より

… なお分一には,海上交通で船が難破してそれを救助した場合,その報奨として積荷の何分の1かを分一として与える意味も含まれていた。たとえば,船が海難にあって積荷が海上に流れ出したときにこれを拾えばその20分の1,海底に沈んだ積荷を拾い上げれば10分の1といったぐあいに,その率は海難の事情によって異なっていた。【吉永 昭】。…

※「海難」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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