朝日日本歴史人物事典 「浜田玄達」の解説
浜田玄達
生年:安政1.11.26(1855.1.14)
明治時代の医学者。日本の産婦人科学のパイオニア。肥後国(熊本県)大岳村に生まれ,9代の医業を継ぐ。明治4(1871)年大学東校に入り,13年東大医学部卒業。熊本医学校(熊本大)教頭,同病院長を経て,16年同校校長。17~21年ドイツへ留学,帰国後,帝大医科大(東大)教授となり,23年産科学教室産婆養成所を発議,設置した。29年医科大学長となったが,33年手術中の飛沫感染による視力減退のため辞職,東京・駿河台で浜田産婦人科病院を経営,浜田産婆学校を開設。36年宮内省御用掛となる。一方,日本婦人科学会を創立,会長を連続務めた。助産婦教育のため,国定産婆教科書の編纂を運動したが,実現しなかった。<参考文献>佐伯理一郎「浜田玄達先生略伝」(『中外医事新報』1213号)
(石原力)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報