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浜田玄達 はまだ げんたつ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

浜田玄達 はまだ-げんたつ

1855*-1915 明治-大正時代の産婦人科学者。
嘉永(かえい)7年11月26日生まれ。熊本医学校病院長をへて,明治16年同校校長となる。ドイツ留学後,21年帝国大学教授。同大に産婆養成所をつくる。29年帝国大学医科大学長。東京御茶ノ水に浜田産婦人科病院を設立した。日本婦人科学会創立にかかわり初代会長。大正4年2月16日死去。62歳。肥後(熊本県)出身。東京大学卒。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

浜田玄達

没年:大正4.2.16(1915)
生年:安政1.11.26(1855.1.14)
明治時代の医学者。日本の産婦人科学のパイオニア。肥後国(熊本県)大岳村に生まれ,9代の医業を継ぐ。明治4(1871)年大学東校に入り,13年東大医学部卒業。熊本医学校(熊本大)教頭,同病院長を経て,16年同校校長。17~21年ドイツへ留学,帰国後,帝大医科大(東大)教授となり,23年産科学教室産婆養成所を発議,設置した。29年医科大学長となったが,33年手術中の飛沫感染による視力減退のため辞職,東京・駿河台で浜田産婦人科病院を経営,浜田産婆学校を開設。36年宮内省御用掛となる。一方,日本婦人科学会を創立,会長を連続務めた。助産婦教育のため,国定産婆教科書の編纂を運動したが,実現しなかった。<参考文献>佐伯理一郎「浜田玄達先生略伝」(『中外医事新報』1213号)

(石原力)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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