キルケゴール(読み)きるけごーる(英語表記)Søren Aabye Kierkegaard

日本大百科全書(ニッポニカ) 「キルケゴール」の意味・わかりやすい解説

キルケゴール
きるけごーる
Søren Aabye Kierkegaard
(1813―1855)

デンマークの著作家、哲学者。5月5日コペンハーゲンに生まれる。

[宇都宮芳明 2015年11月17日]

生涯と著作

一代で富を築いた毛織物商人の父ミカエルMichael Pedersen Kierkegaard(1756―1838)が56歳、家事手伝いから後妻となった母アンネAne Sørensdatter Lund(1768―1834)が45歳のときの子で、7人兄弟の末子であった。そうした誕生を反映してか、幼年時代から老人のように暗い憂鬱(ゆううつ)な気質を備えていたが、その反面、家庭内や友人との交際ではユーモアと快活さに富んでいた。少年時代から父親よりキリスト教の厳しい修練を受け、17歳でコペンハーゲン大学に入学し、神学と哲学を学び、1841年『イロニー概念について』という論文でマギステルの学位を得た。

 その間、1837年5月、当時14歳だったレギーネ・オルセンRegine Olsen(1822―1904)を知ってたちまち恋のとりことなり、婚約までしたが、愛の相克と内面の罪の意識から、1841年8月に婚約を破棄した。いわゆるレギーネ事件で、その際体験した精神的葛藤(かっとう)が、後の美的著作の主題となった。その後、一時ベルリンに赴き、当時盛名をはせていた哲学者F・シェリングの講義を聞いたり、『ドン・ジョバンニ』や『ファウスト』など数多くのオペラを観劇したりしたが、翌1842年には帰国し、著作家としての生活に入った。その活動は盛んで、1843年から1846年に至る短期間に『あれかこれか』『反復』『おそれとおののき』(以上1843)、『不安の概念』(1844)、『人生行路の諸段階』(1845)といったいわゆる美的著作や、『哲学的断片』(1844)、『断片後書』(1846)などの哲学的著作が、いずれも匿名形式で出版され、ほかにキリスト教に関する多くの教化的講話が発表された。

 ここで著作活動にむなしさを感じるようになったキルケゴールは、田舎(いなか)の牧師になって静かな生活を送りたいと願ったが、そのとき風刺新聞『コルサル』(海賊)に、彼の作品と人物についての誤解と中傷に満ちた批評が載り、それをめぐって激しく争ううちに、ふたたびキリスト教徒としての新たな精神活動と著作への意欲が生じてきた。彼は新聞の戯評や世間の嘲笑(ちょうしょう)にも屈せず、一方では大衆の非自主性や偽信性を厳しく批判し、他方では絶望のさなかにあってなお単独者として神を求める宗教的実存のあり方を、『死にいたる病』(1849)や『キリスト教の修練』(1850)のうちで追究した。ちなみに、「単独者」は信仰者としての本来的な実存のあり方を示す用語で、「大衆」や「人類」に対立する。彼の批判は、さらに既成のキリスト教や教会のあり方にまで及び、『瞬間』(1855)などでの攻撃は激烈を極めたが、1855年10月2日、突然コペンハーゲンの路上で卒倒し、11月11日この世を去った。

[宇都宮芳明 2015年11月17日]

思想とその影響

ヘーゲル風の汎(はん)論理主義に抗して、不安と絶望のうちに個人の主体的真理を求めた彼の思想は、20世紀に入るまでデンマーク国外ではほとんど知られなかった。しかし1909年からドイツで神学者のシュレンプChristoph Schrempf(1860―1944)による翻訳全集が出て、当時新進のK・バルトやハイデッガー、ヤスパースらの弁証法神学者や実存哲学者に大きな影響を与え、そこからキルケゴールの名は現代キリスト教思想や実存思想の先駆者として、ヨーロッパのみならず世界的に知られるようになった。

 日本では、すでに明治時代に上田敏(うえだびん)や内村鑑三(うちむらかんぞう)がキルケゴールの思想に触れているが、1915年(大正4)には和辻哲郎(わつじてつろう)が『ゼエレン・キェルケゴオル』で、当時の日本の哲学界ではほとんど知られていなかったキルケゴールの思想を全般にわたって詳しく紹介した。さらに1935年(昭和10)には三木清の監修した『キェルケゴール選集』全3巻が出版され、第二次世界大戦前の不安と危機の時代に生きる日本の思想家に少なからぬ影響を与えた。戦後は、実存主義の日本での流行とともに、文学者や一般読者にも広範な影響力を示した。

[宇都宮芳明 2015年11月17日]

『『キルケゴール著作集』21巻・別巻1(1962~1970/新装再刊版・1995・白水社)』『桝田啓三郎他訳『世界の名著51 キルケゴール』(1979・中央公論社)』『工藤綏夫著『キルケゴール』(1966/新装版・2014・清水書院)』『小川圭治著『人類の知的遺産48 キルケゴール』(1979・講談社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キルケゴール」の意味・わかりやすい解説

キルケゴール
Kierkegaard, Søren Aabye

[生]1813.5.5. コペンハーゲン
[没]1855.11.11. コペンハーゲン
デンマークの哲学者,神学者。現代実存哲学の創始者,プロテスタンティズムの革新的思想家として知られる。コペンハーゲン大学で神学を学んだ。父の死後 (1838) 本格的研究を決心,1840年 17歳のレギーネ・オルセンと婚約したが,翌年破棄した。 41年ベルリンで F.シェリングの講義を聞き,42年帰国,著作活動を始めた。哲学的にはヘーゲル,シェリングの観念論の批判から出発し,「単独者」「主体性」などの概念を中心にして実存論的思索を展開した。神学的には当時のデンマークの教会のあり方を攻撃し,教会的キリスト教の変革を説き,信仰と実存の問題を深く掘下げた。主著『あれか,これか』 Enten-Eller (43) ,『おそれとおののき』 Frgyt og Baeben (43) ,『反復』 Gjentagelsen (43) ,『不安の概念』 Begrebet Angest (44) ,『人生行路の諸段階』 Stadier paa Livets Vei (45) ,『死に至る病』 Sygdommen til Døden (49) 。

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