浜田郷(読み)はまだごう

日本歴史地名大系 「浜田郷」の解説

浜田郷
はまだごう

新田につた庄内の中世郷で、郷域には条里制に基づくとみられる水田遺構が認められ、戦国期には上下に分れた。現在の太田市上浜田・下浜田周辺で、東矢島ひがしやじま・西矢島も含む一帯。嘉応二年(一一七〇)の新田庄田畠在家目録写(正木文書)には、浜田郷分として田二一町三〇代・畠三町四反一五代・在家六宇が計上されている。記載三八郷に比べると田数が多い割に在家数が少ない。元亨四年(一三二四)七月二八日に、新田義貞が新田庄浜田郷内在家二宇・田三町・畠七反を小柴盛光妻紀氏に売却していることから考えて(一〇月七日「関東下知状」長楽寺文書)、鎌倉時代は新田本宗家が郷地頭職を保持していたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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