北条氏直(読み)ホウジョウウジナオ

デジタル大辞泉 「北条氏直」の意味・読み・例文・類語

ほうじょう‐うじなお〔ホウデウうぢなほ〕【北条氏直】

[1562~1591]戦国時代武将氏政の長男。織田信長の没後、徳川家康と対立したが和睦。のち豊臣秀吉小田原城を包囲攻撃され、降伏して高野山に追放。

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精選版 日本国語大辞典 「北条氏直」の意味・読み・例文・類語

ほうじょう‐うじなお【北条氏直】

  1. 安土桃山時代の武将。氏政の長子。母は信玄の娘。徳川家康の女婿。豊臣秀吉小田原城を攻撃され、降伏して高野山に籠居。永祿五~天正一九年(一五六二‐九一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北条氏直」の意味・わかりやすい解説

北条氏直
ほうじょううじなお
(1562―1591)

関東の戦国大名、後北条(ごほうじょう)氏第5代。氏政(うじまさ)の子。母は武田信玄(しんげん)の娘。1580年(天正8)家督を継ぐ。本能寺(ほんのうじ)の変後、上野(こうずけ)に進出して織田信長の代官滝川一益(たきがわかずます)を追い、信濃(しなの)からさらに甲斐(かい)に進んだ。武田氏の旧領をめぐり、徳川家康と甲斐国若神子(わかみこ)(山梨県北杜(ほくと)市須玉(すたま)町)に対陣したが、和睦(わぼく)し、83年家康の娘督姫と結婚した。徳川氏と同盟を結びつつ、上野、下野(しもつけ)、上総(かずさ)などに勢力を拡大。89年豊臣(とよとみ)秀吉の宣戦布告を受け、翌年3か月に及ぶ籠城(ろうじょう)のすえ、降伏した。家康の女婿であったため命を助けられ、高野山(こうやさん)に送られた。91年秀吉に謁して1万石を与えられたが、病死した。

[池上裕子]

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改訂新版 世界大百科事典 「北条氏直」の意味・わかりやすい解説

北条氏直 (ほうじょううじなお)
生没年:1562?-91(永禄5?-天正19)

安土桃山時代の武将。後北条氏第5代。氏政の子。母は武田信玄の娘。1577年(天正5)常陸の小田城に梶原政景を攻め初陣を飾る。父氏政とともに駿河黄瀬川で武田勝頼と対陣中の80年8月19日に家督を継ぐ。翌年代替り検地にかえて段銭の増徴を行う。82年6月の本能寺の変直後に,関東管領滝川一益と神流川で戦い,一益を上野から伊勢に追い,同年8月には徳川家康と甲斐の若神子(わかみこ)で対陣したが,10月に家康と和した。翌83年8月家康の娘督姫と結婚して家康と同盟を結ぶ。しかし全国制覇を目ざす豊臣秀吉との対決をさけられず,小田原の戦に敗れ,90年7月5日降伏し,戦国大名後北条氏は滅亡した。氏直は家康の女婿であったことなどから助命され,高野山に追放とされた。翌91年秀吉から関東で9000石と近江で1000石の計1万石の知行を与えられたが,同年11月4日に病没した。法名は松巌院殿大円宗徹。
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朝日日本歴史人物事典 「北条氏直」の解説

北条氏直

没年:天正19.11.4(1591.12.19)
生年:永禄5(1562)
安土桃山時代の武将。相模小田原城主。氏政と武田晴信(信玄)の娘の子。幼名は国王丸,通称新九郎。左 京大夫。斎号は見性斎。永禄12(1569)年5月,父氏政に身を寄せる今川氏真の養子となり,駿河国を譲られ,のち武田勝頼と駿河黄瀬川で対陣中の天正8(1580)年8月19日,氏政の家督を継いで5代目当主となる。同10年6月の本能寺の変の直後,織田信長の部将で関東管領であった滝川一益を上野厩橋城に攻め,関東から駆逐。さらに信濃小県・佐久地方を平定して甲斐に進出。武田氏旧領の支配を巡って徳川家康と争い,若神子で対陣した。同年10月,上野の領有と家康の娘督姫との婚姻を条件に講和を結び,翌11年8月督姫と結婚。同17年に名胡桃城奪取事件を起こし,翌年の豊臣秀吉による小田原攻めを招く。7月5日に降伏し高野山に追放されたが,翌19年2月に赦免され,1万石を与えられて大坂に移った。同地で死去。これにより嫡流は断絶。頼りにした岳父家康からも見捨てられている。

(佐脇栄智)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北条氏直」の意味・わかりやすい解説

北条氏直
ほうじょううじなお

[生]永禄5(1562).小田原
[没]天正19(1591).11.4. 河内,天野
戦国大名。後北条氏5代目。氏政の嫡子。母は武田信玄の娘。室は徳川家康の娘督姫。法号は松巌院大円宗徹。天正8 (1580) 年家督を継ぎ,織田信長と結んだが,同 10年6月の本能寺の変後上野に侵入,信長の将上野厩橋城主滝川一益を武蔵金窪,上野神流川に破り,さらに信濃に入って真田昌幸領を支配した。その頃,甲斐にあった家康も信濃侵攻を策しており,徳川,後北条の激突となり,約3ヵ月の交戦後同年 10月講和し,氏直は家康の娘を室とした。その後天下を握った豊臣秀吉の再三の上洛勧告に応じず,同 18年3月秀吉に小田原城を攻められ敗戦したが (→小田原征伐 ) ,氏直は家康の婿であるという理由で助命され高野山に籠居。のち河内天野に移され,同 19年2月徳川秀忠の仲介で関東で 9000石,近江で 1000石を与えられた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「北条氏直」の解説

北条氏直
ほうじょううじなお

1562~91.11.4

織豊期の武将。氏政の子。相模国小田原城(現,神奈川県小田原市)城主。戦国大名後北条氏5代。1580年(天正8)家督をつぐ。82年本能寺の変ののち上野・信濃・甲斐の旧織田氏領国に進攻,徳川家康と衝突した。豊臣秀吉から臣従の礼を求められたが応じず,88年叔父氏規を派遣,その間決戦を予想し軍備増強に努めた。89年叔父氏邦が真田昌幸の上野国名胡桃(なぐるみ)城(現,群馬県みなかみ町)を奪ったが,秀吉にとがめられ,90年の関東出兵(小田原攻め)を招いた。小田原城に籠って抵抗したが敗れ,降伏ののち高野山で謹慎。翌年許されたがまもなく大坂で死没。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北条氏直」の解説

北条氏直 ほうじょう-うじなお

1562-1591 織豊時代の武将。
永禄(えいろく)5年生まれ。北条氏政(うじまさ)の長男。天正(てんしょう)8年,小田原城主北条氏5代となる。本能寺の変以後,上野(こうずけ)(群馬県),信濃(しなの)(長野県)に進出。徳川家康と和睦(わぼく)して家康の娘督姫と結婚。18年豊臣秀吉の小田原攻めに降伏し高野山に追放された。天正19年11月4日死去。30歳。幼名は国王丸。通称は新九郎。

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世界大百科事典(旧版)内の北条氏直の言及

【小田原征伐】より

…1590年(天正18)豊臣秀吉が関東最大の戦国大名後北条氏を滅ぼして全国統一を完成させた戦い。九州征伐後秀吉は,北条氏政・氏直父子にも上洛を促したが,彼らは関東制覇の実績にもたれて秀吉の力を評価できず,上洛に応じなかった。1589年秀吉は,後北条氏の上野名胡桃(なくるみ)奪取を契機に,諸大名を動員し,後北条氏討伐を下令した。後北条氏は,上杉謙信,武田信玄に対して成功した,本拠相模小田原城での籠城策を採用した。…

【小田原評定】より

…1590年(天正18)豊臣秀吉が,後北条氏を相模小田原城に攻めたとき,城内の評定で対策が評議されたが,空しく日を過ごすのみであったという故事から,一般にいつまでもまとまらない会議,相談を指すようになった。槙島昭武《関八州古戦録》(1726成立)にこの故事が紹介され,小山田与清(ともきよ)の《松屋筆記》に,〈北条氏直愚将にして物に決断なく,群臣をして評議せしむれど,空しく座談のみにて,其実に用る事能はず,遂に廃滅せり,世にこれをとりて不成の評議を小田原評定と云へり〉とあって,江戸時代広く知られていた。なお,〈小田原評定〉を,後北条氏が,政令を議するため小田原に設けた評定所を指すという説もある。…

【後北条氏】より

…伊勢宗瑞(俗称北条早雲)を始祖とし,氏綱,氏康,氏政,氏直と5代にわたり相模の小田原城を本拠として関東に雄飛した戦国大名(図)。早雲はその出自など多くがなぞにつつまれた人物であるが,1476年(文明8)に義忠没後の今川家内紛の調停役として歴史の舞台に登場した。やがて駿河の興国寺城主となり,91年(延徳3)には足利茶々丸を討って伊豆を平定し韮山城に移る。95年(明応4)小田原城に大森藤頼を攻めてこれを奪い,関東進出の第一歩をしるした。…

【徳川家康】より

…道中の危険をおかして急いで帰国した家康は,態勢を整え明智光秀攻撃のため西上しようとしたところに羽柴(豊臣)秀吉から山崎の戦の報が届いた。 この報を受けて家康は一度は帰城したが,甲斐・信濃の帰属をめぐって北条氏直と対立し,8月甲斐国巨摩郡若神子(わかみこ)で対陣,やがて甲・信2国の領有を認めさせる和睦に成功,駿・遠・三・甲・信の5ヵ国を領有する大大名となった。84年,信長の子信雄(のぶかつ)を助けて小牧・長久手の戦で秀吉に大勝したが,信雄が秀吉に屈服したので家康も秀吉と和睦,第2子の於義丸(おぎまる)(のちの結城秀康)が秀吉の養子となる条件で上洛した。…

※「北条氏直」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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