日本歴史地名大系 「浜経田村」の解説 浜経田村はまきようでんむら 富山県:魚津市浜経田村[現在地名]魚津市浜経田・東町(ひがしまち)・寿町(ことぶきちよう)・経田中町(きようでんなかまち)・経田西町(きようでんにしまち)など片貝(かたかい)川河口部左岸にあり、西は富山湾に臨む。南は岡経田(おかきようでん)村。中世には経田と称したようで、のち浜経田村・岡経田村に分村したと考えられる。現大阪府河内長野(かわちながの)市金剛(こんごう)寺蔵の「重深鈔」奥書に、永徳二年(一三八二)四月一日「越中国経田御談議所」において隆海の自筆をもってこれを繕わしめたと記されており、当地に真言宗僧侶が研鑽を積む談議所があったとみられる。片貝川に合流する小川寺(おがわじ)川上流にあった真言宗千光(せんこう)寺の本尊は、大同元年(八〇六)に「経田村」の後藤という猟師の網にかかったものといわれ(天正八年四月「小川山千光寺記」遺編類纂所収千光寺文書)、後藤は当村を開いたという後藤光重と伝えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by