浜谷村(読み)はまたにむら

日本歴史地名大系 「浜谷村」の解説

浜谷村
はまたにむら

[現在地名]明石市魚住町西岡うおずみちようにしおか

瀬戸川の東側に位置する。南は播磨灘に面し、東は中尾なかお村、西は西にしおか村。西浦辺組に所属。もと田井村と称し、寛永一七年(一六四〇)から元禄年間(一六八八―一七〇四)に浜谷村と改称したという(明石記)。慶長国絵図には「多井村」とみえる。正保郷帳には田井村とあり、田高二二五石・畑高一七石余、松山あり。天保郷帳では高二二五石余。村の規模は東西約一町・南北約五〇間、往還の長さ約二〇間。城下西本にしほん町の高札場より約二里一五町。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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