浦賀燈明堂跡(読み)うらがとうみようどうあと

日本歴史地名大系 「浦賀燈明堂跡」の解説

浦賀燈明堂跡
うらがとうみようどうあと

[現在地名]横須賀市西浦賀町六丁目

浦賀港口の西側、川間かわま地先の燈明崎にあった灯台。慶安元年(一六四八)設置され、費用は公儀の負担であった。元禄四年(一六九一)より普請や諸費用は東浦賀干鰯問屋の負担となり、文政九年(一八二六)当時の規模は、石垣の高さ六尺土台より桁までの高さ七尺、堂間八尺五寸四分であった(「浦賀湊口燈明堂修覆につき願書」県史九)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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