海谷村(読み)かいやむら

日本歴史地名大系 「海谷村」の解説

海谷村
かいやむら

[現在地名]大石田町海谷

いわふくろ村の北に位置し、西端を最上川が流れる。かつて最上川の氾濫原集落耕地があったが、宝暦七年(一七五七)の最上川洪水以後に集落を現在地の台地上に移した。地内には縄文時代の海谷遺跡がある。

最上氏改易後は山形藩領。元和九年(一六二三)検地帳(工藤文書)では反別田二九町一反余・畑七町余。名請人は一七三、うち海谷村六七人・村外一〇六人で入作が非常に多い(反別一四町五反余で全耕地の約四割)。入作の存在は海谷村の村切の際に旧来の出入作関係をそのまま認めたためであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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