朝日日本歴史人物事典 「深尾角馬」の解説
深尾角馬
生年:寛永8(1631)
江戸前期の剣術家。鳥取藩士。河田利右衛門の子。名は重義,喜六と称す。岡山藩の家老池田之政に仕えたが,寛永9(1632)年鳥取藩への移封に従う。深尾家を継いで深尾角馬と改め,井蛙と号す。父から丹石流を学んだのち,東軍流,去水流,卜伝流,神道流,新陰流などの諸流を学び,雖井蛙(井蛙)流兵法を開く。化顕流,安心流の居合2流も創流したという。雖井蛙流は,角馬が学んだ諸流への返し技で構成されており,鳥取藩の剣術の主流となる。戊辰戦争で活躍し,のち大久保利通暗殺事件に連座した松田秀彦も同流の門下。角馬は牡丹の栽培も好んだというが,妥協を好まぬ性格で,娘の恋愛のこじれから相手方の親子を斬殺し,それがもとで切腹した。
(甲野善紀)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報