日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベスビオ火山」の意味・わかりやすい解説
ベスビオ火山
べすびおかざん
Vulcano Vesuvio イタリア語
Vesuvius Volcano 英語
イタリア南部、ナポリ市東方約12キロメートルにあるカルデラをもつ成層火山。英語名ベスビアスVesuvius。狭義にはその中央火口丘をさし、標高は1281メートル。火口は径約500メートルで、休止期には深さ200メートル余にもなるが、活動期には溶岩があふれ出す。径約4キロメートルのカルデラを囲む外輪山のソンマSomma(1132メートル)の名は、他火山でも「外輪山」として使用されている。ソンマ火山は、約1万7000年前の山体崩壊によって生じた。その中に現在の中央火口丘が形成された。
紀元後63年に山麓(さんろく)一帯を襲った大地震を前兆として、紀元後79年8月ベスビオ火山は大爆発し、巨大なキノコ状の火山灰の噴煙が空高くそびえ立った。その直後に発生した火砕流でポンペイ(推定人口2万数千人)やヘルクラネウム(現在のエルコラノ)などの市街地は軽石や火山灰に埋没した。噴出量は約5立方キロメートルで、火山爆発指数は5とされる。巨大なキノコ状の噴煙を伴うこの種の噴火は、噴火で犠牲になった古代ローマの博物学者大プリニウスと、噴火の様子を記述した甥の小プリニウスにちなんで、プリニー式噴火とよばれるようになった。ポンペイやエルコラノは18世紀に入って発掘され、ベスビオ火山の噴火によって埋もれた古代都市の遺構や遺品が数多く発見された。それ以後、紀元後79年の噴火や当時の生活の様子がしだいに明らかになってきた。この噴火による惨状はイギリスの作家リットンの小説『ポンペイ最後の日』に描写されている。
以後、1944年まで数十回も噴火を反復し、中央火口丘が成長してきた。そのうち、472年、512年、1631年の噴火が比較的大きい。とくに1631年の噴火では死者約3000人を記録した。歌曲『フニクリ・フニクラ』で知られた登山電車フニクラーレは、1944年の大溶岩流で破壊された。1841年、世界で最初に火山観測所が創設された。この火山の溶岩はシリカ(二酸化ケイ素)が乏しく、ややアルカリ(ナトリウム、カリウム)に富み、フォノライトとよばれる。
[諏訪 彰・中田節也]
『サラ・C・バイセル著、柴田和雄訳『ベスビオ火山の大噴火』(1993・リブリオ出版)』