日本歴史地名大系 「深川元町代地」の解説 深川元町代地ふかがわもとちようだいち 東京都:墨田区旧本所区地区深川元町代地[現在地名]墨田区太平(たいへい)一―二丁目など横(よこ)川(大横川)東岸、法恩(ほうおん)寺の周囲にある。もとは深川元町(現江東区)の内で、元禄一〇年(一六九七)信濃飯山藩松平氏御用地として上地となり、法恩寺前、同寺の東方、柳島(やなぎしま)村続きの三ヵ所で代地を与えられた。代地の場所は柳島村地先の萱野であったという。町名は本所法恩寺前深川(ほんじよほうおんじまえふかがわ)代地町と称していたが、近辺に代地が多く、たびたび間違えられることから、安永五年(一七七六)以降深川元町代地と称するようになった。正徳三年(一七一三)町奉行・代官両支配となった。町内間数は法恩寺前が東西表間口四五間余・南北裏行東方三五間余・同西方二九間余、法恩寺東方は東西表間口四五間・南北裏行二〇間、柳島村続きは東西表間口五五間余・南北裏行二〇間。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by