日本歴史地名大系 「深萱庄」の解説 深萱庄ふかがやのしよう 岐阜県:加茂郡坂祝町深萱村深萱庄現坂祝町深萱を中心とした加茂郡内の庄園と考えられる。「兵範記」保元二年(一一五七)三月二五日条に載せる後院司宛の太政官符に庄名が記される。保元の乱によって「故左大臣」(藤原頼長)領の当庄は没官され、後白河天皇後院領となり、その後京都長講堂領に組入れられ、皇室領庄園として伝領されていく。建久二年(一一九一)の長講堂領目録(島田文書)では、元三雑事として御簾二間・御座二枚などの諸公事・諸役を負担している。また年月日未詳六条殿修理料支配状写(八代恒治氏旧蔵文書)によると、深萱庄は「六条面」の「二本二尺四寸」分を担当している。長講堂は後白河法皇院御所の一つである六条殿内の持仏堂である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by