朝日日本歴史人物事典 「広橋兼宣」の解説
広橋兼宣
生年:貞治5/正平21(1366)
室町前期の公卿。法号は後瑞雲院,法名常寂。父は権大納言仲光,伯母崇賢門院藤原仲子は後円融天皇の生母。3歳から学問料を給され,5歳で文章得業生となり,7歳で元服。永徳3/弘和3(1383)年蔵人になるまで家業のひとつである学問に精出し,嘉慶2/元中5(1388)年右少弁,文章博士となって朝廷の実務につき,同年左少弁,明徳1/元中7(1390)年右中弁,応永1(1394)年正四位下左中弁と同時に蔵人頭となり,同2年右大弁,同4年左大弁から同7年に参議となり公卿に列した。以後従一位大納言まで昇進した。その間,応永8年からは武家伝奏となった。この時代は朝廷は後小松上皇,武家は足利義満,のちに義持の時代で,難しい公武の調整役を務めた。同32年准大臣になるとともに辞任,出家した。日記を『兼宣公記』といい,この時代の公武政治史の貴重な史料となっている。
(飯倉晴武)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報