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広橋兼宣 ひろはし かねのぶ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

広橋兼宣 ひろはし-かねのぶ

1366-1429 南北朝-室町時代の公卿(くぎょう)。
貞治(じょうじ)5=正平(しょうへい)21年11月6日生まれ。広橋仲光(なかみつ)の子。応永7年参議。大納言をへて,准大臣にすすむ。従一位。将軍足利義満(よしみつ),義持(よしもち)の時代,武家伝奏(てんそう)として朝幕間の調整役をつとめた。永享元年9月14日死去。64歳。贈内大臣。日記に「兼宣公記」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

広橋兼宣

没年:永享1.9.14(1429.10.12)
生年:貞治5/正平21(1366)
室町前期の公卿。法号は後瑞雲院,法名常寂。父は権大納言仲光,伯母崇賢門院藤原仲子は後円融天皇の生母。3歳から学問料を給され,5歳で文章得業生となり,7歳で元服。永徳3/弘和3(1383)年蔵人になるまで家業のひとつである学問に精出し,嘉慶2/元中5(1388)年右少弁,文章博士となって朝廷の実務につき,同年左少弁,明徳1/元中7(1390)年右中弁,応永1(1394)年正四位下左中弁と同時に蔵人頭となり,同2年右大弁,同4年左大弁から同7年に参議となり公卿に列した。以後従一位大納言まで昇進した。その間,応永8年からは武家伝奏となった。この時代は朝廷は後小松上皇,武家は足利義満,のちに義持の時代で,難しい公武の調整役を務めた。同32年准大臣になるとともに辞任,出家した。日記を『兼宣公記』といい,この時代の公武政治史の貴重な史料となっている。

(飯倉晴武)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の広橋兼宣の言及

【兼宣公記】より

…室町前期の公家広橋兼宣(1366‐1429)の日記。別称《宣記》。…

※「広橋兼宣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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