淳風学区(読み)じゆんぷうがつく

日本歴史地名大系 「淳風学区」の解説

淳風学区
じゆんぷうがつく

およそ北は松原まつばら通、南は桶屋図子おけやのずし、東は大宮おおみや通東、西は一貫町いつかんまち通西にわたる二二番組と、島原しまばら(西新屋敷)の三二番組から構成される旧学区。学区の主要部分は、江戸時代は下京古町はなく、下古京の川西九町組の新シ町、並びに西本願寺寺内町であったが、上長福寺かみちようふくじ町・下長福寺町・藪之内やぶのうち町は中堂寺ちゆうどうじ村、裏片うらかた町・薬園やくえん町は八条はちじよう村に属し町方ではなく、中之なかの町・上之かみの町・中堂寺町・下之しもの町・太夫たゆう町・揚屋あげや町は島原に属した。名称は明治二年(一八六九)の下大組二二番組と三二番組から、藪之内町薬園町を合わせ下京一六区(明治五年)、下京一六組(同一二年)、下京第一六学区(同二五年)を経て、昭和四年(一九二九)淳風学区。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報