揚屋(読み)アゲヤ

デジタル大辞泉 「揚屋」の意味・読み・例文・類語

あげ‐や【揚屋】

江戸時代、客が太夫たゆう天神などの高級な遊女を呼んで遊興した店。

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精選版 日本国語大辞典 「揚屋」の意味・読み・例文・類語

あがり‐や【揚屋】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 江戸時代の牢屋の一つ。江戸小伝馬町の牢屋敷に置かれ、御目見(おめみえ)以下の御家人陪臣(ばいしん)僧侶、医師などの未決囚を収容した雑居房。西口の揚屋は女牢(おんなろう)といって、揚座敷(あがりざしき)に入れる者を除き、武家、町人の別なく、女囚を収容した。→揚座敷
    1. [初出の実例]「中中にくい事じゃ。らうとはきこへぬ、せめてあかりや共なふてと、ののしる」(出典:咄本・私可多咄(1671)一)
  3. あがりば(上場)
    1. [初出の実例]「風呂御入被成候て、あかりやに御腰を被掛」(出典:川角太閤記(1621‐25頃か)一)

あげ‐や【揚屋】

  1. 〘 名詞 〙 近世、遊里で、客が遊女屋から太夫、天神、格子など高級な遊女を呼んで遊興する店。大坂では明治まで続いたが、江戸吉原では宝暦一〇年(一七六〇)頃になくなり、以後揚屋町の名だけ残った。
    1. [初出の実例]「あげやを、けんぶつし、大もんのほとりに、たちいづれば」(出典:評判記・あづま物語(1642))

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改訂新版 世界大百科事典 「揚屋」の意味・わかりやすい解説

揚屋 (あげや)

遊女を招いて遊興させる家。遊興の形式には,客が遊女屋へあがる形式と,別の場所へ遊女を招く形式とがあり,揚屋は後者の一例である。この制度の起源は不明だが,寛永期(1624-44)にはすでに整備されていた。私娼(ししよう)を呼ぶ家と違い,遊郭内で費用も高い揚屋が設けられたのは,おもに上級武士客の必要に応じたもので,揚屋へあがるときは腰の物を預ける規則であった。また,遊女の出張・派遣(町売りという)を禁止したことにも関連していると考えられる。揚屋のない長崎の丸山遊郭では,町行きや船遊山(ふなゆさん)が自由であったことが反証となる。遊郭の揚屋制は絶対条件でなかったから,遊郭によって揚屋をおかぬ所もあれば,地方で三都をしのぐ揚屋数をもった所(下関など)もあった。三都では,揚屋は上級妓(太夫,上天神)との遊興の場所とされた。とくに大坂では揚屋制が発達し,揚屋の設備・待遇は全国一と称された。また,中級以下の遊女を招く家を茶屋と呼んで区別し,さらに私娼街でも送込み制をとってこれを呼屋といった。これに対し,江戸では発達せず,延宝(1673-81)ころには大坂の35軒に江戸は14軒,宝暦10年(1760)ころには最後の1軒も消えた。遊女が客の招きに応じて遊女屋から揚屋へ行くことを〈揚屋入り〉といい,盛装して引舟,禿(かむろ),傘持ちらを従え,寝具などを携えて行列したので,これを道中と称した。吉原における花魁(おいらん)道中の原形である。
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揚屋 (あがりや)

江戸時代の牢屋における特別の部屋。幕府小伝馬町牢屋では収監者を身分によって分隔拘禁したが,武士を収容するのが揚座敷(あがりざしき)と揚屋である。500石未満の御目見(おめみえ)以上直参(じきさん)の武士は揚座敷,御目見以下の直参,陪臣は揚屋に入れ,僧侶,神職も格式により揚座敷,揚屋に分けた。いずれも雑居拘禁であるが,揚座敷に比べると揚屋は食事をはじめとする処遇,牢名主の支配など,実情は庶民の牢とそれほど差異はない。5部屋あったが,1部屋は女牢(おんなろう)と称して身分を問わず女性だけを収容し,また1部屋は遠島者を出船の前日集めておく遠島部屋に用いられた。幕府の地方の牢,藩の牢なども,武士を庶民と区別して収容した。
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百科事典マイペディア 「揚屋」の意味・わかりやすい解説

揚屋【あげや】

遊女を招いて遊興させる家。江戸時代,三都(江戸・大坂・京都)では太夫(たゆう),格子(こうし)など上級遊女を招いた。遊女は格式に応じて夜具,化粧具などを携え,禿(かむろ)や下男を従えて揚屋入り(道中)した。大坂(新町)では特に揚屋制が発達。江戸では明暦の大火以後1ヵ所に集めて揚屋町を作ったが,1760年を境に滅んだ。京都島原の角屋(すみや)は揚屋の貴重な遺構。→茶屋待合
→関連項目置屋遊郭(廓)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「揚屋」の意味・わかりやすい解説

揚屋
あげや

遊廓(ゆうかく)で遊女を招いて遊興させる店。遊女屋とは別に、遊興の場所のみを提供する店として揚屋が登場するのは近世初期である。遊女屋での遊興に比べて費用は高くても、優雅な待遇を求める需要に応じたものである。したがって、揚屋を利用するのは太夫(たゆう)、格子(こうし)などの高級遊女の客に限られ、中以下の遊女を招く店は茶屋、私娼(ししょう)街での類似店は呼屋(よびや)といって区別した。揚屋のある遊廓でも下級妓(ぎ)は遊女屋に客を揚げた。遊女が揚屋へ往復するときは従者を連れて行列し、これを道中と称した。花魁(おいらん)道中の原型である。江戸の新吉原では、1760年(宝暦10)ごろに揚屋が消滅し、かわりに独特な引手(ひきて)茶屋の制度が生まれた。

[原島陽一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「揚屋」の意味・わかりやすい解説

揚屋
あげや

遊郭で太夫など比較的上級の遊女を置屋 (遊女をかかえ,養っている家) から招いて遊興させる店のこと。置屋と揚屋が区別されるようになったのは江戸時代初頭。江戸では宝暦年間 (18世紀なかば) にすたれた。文字は同じだが揚屋 (あがりや) は江戸時代法制用語で,大名や旗本の臣,武士,僧侶など身分のある未決囚を入れたところ。 (→吉原 )  

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「揚屋」の解説

揚屋
あげや

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
明治35.7(東京・本郷座)

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世界大百科事典(旧版)内の揚屋の言及

【碁太平記白石噺】より

…操り初演と同年の1780年4月に江戸森田座で通しの初演。以来現今まで主として七段目,おのぶが宮城野と再会する《揚屋》が独立して上演されてきた。全盛の太夫と奥州弁の田舎娘というコントラストが趣向として成功している。…

【角屋】より

…京都市下京区揚屋町にある旧遊郭島原の揚屋の遺構(重要文化財)。江戸初期の1640年(寛永17)に六条三筋町の遊郭が島原に移転したときから現在地にある。…

【茶屋】より

…とくに京坂地方でこの形式が発達し,大坂の堀江,曾根崎などの遊所は茶屋株での営業であり,これを色茶屋といった。遊郭にも太夫を呼ぶ揚屋に対し,下級妓を招く茶屋(または天神茶屋)があったから,〈茶屋遊び〉といえば遊所への出入りを意味した。色茶屋の女に,茶屋女,茶立女,茶汲女,山衆(やましゆう)などいろいろな呼名が与えられたのは,類似商売の多様化を示すが,遊郭が認められない場合に茶屋として営業する例は多く,地方都市で茶屋町といえば私娼(ししよう)街のことであった。…

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