朝日日本歴史人物事典 「淵上郁太郎」の解説
淵上郁太郎
生年:天保8.10.20(1837.11.17)
征長解兵を図ろうとした幕末の久留米藩尊攘派志士。諱は祐広。丹次,郁太郎と称し井村簡二,林田勘七郎,高瀬屋長兵衛と変名。父は延寿王院寺侍,雑貨商,馬医者淵上祐吉。安政3(1856)年,弟謙三と江戸の大橋訥庵の門に入り,万延1(1860)年,帰国。文久1(1861)年,藩校明善堂教官。同年上京し真木和泉の建白書を大原重徳に提出。元治1(1864)年の禁門の変後,長州に逃亡,薩長融和,第2次征長阻止を図ろうとするが,倒幕派の怒りを買い上坂,幕府に捕らわれる。獄中で征長回避を説き大目付永井尚志に認められ釈放,このため,幕府スパイと疑われ,柳川藩領で潜伏中,伊東甲子太郎らに暗殺された。
(吉田昌彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報