日本歴史地名大系 「清冷寺村」の解説 清冷寺村しようれんじむら 兵庫県:豊岡市清冷寺村[現在地名]豊岡市清冷寺気多(けた)郡に属し、伏(ふし)村・八社宮(はさみ)村の南に位置する。南は出石(いずし)川を挟んで加陽(かや)村、東は城崎(きのさき)郡駄坂(ださか)村、出石郡下鉢山(しもはちやま)村・上鉢山村。永正五年(一五〇八)七月一八日付で但馬守護山名致豊は下津屋新三郎に宛て、「但馬国所々知行并清凉寺分代官職」等を、山名政豊の判形に任せて安堵している(「山名致豊判物」森文書)。清凉(しようりよう)寺は京都西郊嵯峨(さが)にある浄土宗寺院。一方永正二年に成立した「清凉寺縁起」には、建武年間(一三三四―三八)但馬国の住人河越十郎が清凉寺に乱入して本尊を傷つけ、重病を受けて死んだので、その知行分「但州賀野郷」が清凉寺に宛行われたと記している。このことは他の史料では確認できないが、河越十郎は鎌倉後期の下賀陽(しもかや)郷上村の地頭河越氏の子孫か縁者と考えられ、その所領が没官のうえ清凉寺に与えられたのであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by