小出吉英(読み)こいで よしひさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小出吉英 こいで-よしひさ

1587-1666 江戸時代前期の大名。
天正(てんしょう)15年生まれ。小出吉政の長男。慶長9年(1604)但馬(たじま)(兵庫県)出石(いずし)藩主小出家初代の父が宗家の和泉(いずみ)(大阪府)岸和田藩をついだため,出石藩主小出家2代となる。父の死で岸和田藩をついだのち,元和(げんな)5年(1619)出石藩主小出家4代に復する。出石出身の沢庵宗彭(そうほう)に帰依(きえ)し,宗鏡(すきょう)寺などの復興をたすけた。寛文6年3月9日死去。80歳。名は「よしひで」ともよむ。

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朝日日本歴史人物事典の解説

小出吉英

没年:寛文6.3.9(1666.4.13)
生年:天正15(1587)
江戸前期の大名。但馬国(兵庫県)出石藩主。父は吉政,母は伊東治明の娘,大坂生まれ。慶長9(1604)年,父が和泉国(大阪府)岸和田へ移封したのち,出石5万石を拝領。父の死により岸和田城へ移るが,大坂の陣(1614,15)で功をあげ,元和5(1619)年出石城へ再び移り5万石を領す。江戸で死去。出石出身の沢庵宗彭に帰依し,その薫陶を受けた。

(長谷川成一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典内の小出吉英の言及

【出石[町]】より

…しかしこれも80年には落ち,山名は因幡に敗走した。この山城をふもとに移したのは1604年(慶長9)小出吉英(よしひさ)のときとされ,以後城下町が整備されたのであろう。城地は有子山を背に内堀を巡らし,藩主の居宅と三の丸に上級武士の屋敷を置き,その外に町人町が形成された。…

【出石藩】より

…但馬国(兵庫県)出石郡出石を城地とする外様中小藩。1595年(文禄4)豊臣秀吉から6万石をあてがわれた小出吉政は,関ヶ原の戦に西軍に属したが,父秀政の功に免じて取りつぶしを免れた。1604年(慶長9)2代吉英(よしひさ)の代,有子山麓に城と城下町が建設された。4代吉英(再入封)の後は短期間に代を重ね,96年(元禄9)ついに嗣なくして断絶した。そのあと松井忠周を経て,1706年(宝永3)仙石氏が5万8000石で入封定着した。…

※「小出吉英」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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