寺地は左大臣源融の山荘自
水尾山寺
、御
嵯峨棲霞観
、以
水尾有
営
造仏堂
也、詔授
左大臣源朝臣融家令正六位上伴宿禰枝雄従五位下
、棲霞観者、左大臣山庄也、故有
此賞
也」とある。融の没後、寺に改められて棲霞寺と号し、天慶八年(九四五)一二月二七日、源重明(式部卿宮重明親王)が亡室のために新堂を建立、金色等身釈迦如来一体を安置している(李部王記)。寛和三年(九八七)二月一六日に「摺本一切経論並霊山第三伝釈迦等身立像十六羅漢絵像」(扶桑略記)をもって唐から帰った奈良東大寺の
然は、
然の遺志を継いだ高弟の盛算は寺院建立はあきらめ、棲霞寺内の釈迦堂に栴檀の釈迦如来像を奉安し、勅許を得て五台山清凉寺と号し、華厳宗の寺院とした(「清凉寺縁起」続群書類従)。棲霞寺釈迦堂に仮寓するというかたちで創建された清凉寺は、浄土教信仰の発達とともに栴檀瑞像の名でよばれる釈迦如来に対する信者を得て、天台・真言・念仏宗を兼ねた寺として発達、室町中期には融通念仏の大道場となり、棲霞寺に代わって清凉寺の名が高まった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市右京区嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)藤ノ木町にある浄土宗の寺。五台山と号する。通称を嵯峨の釈迦堂という。本尊は釈迦如来(にょらい)。もとは棲霞(せいか)寺境内の一隅に建てられた釈迦堂であった。棲霞寺は嵯峨天皇の第12皇子、左大臣源融(とおる)(822―895)の山荘、棲霞館に建てられた阿弥陀(あみだ)堂を創始とする。融は熱心な阿弥陀信仰者で、阿弥陀像の造立を発願したが果たしえずに没したため、遺族が志を継ぎ、阿弥陀三尊像を完成し、融の一周忌、896年(寛平8)に阿弥陀堂を建立して安置し、法会を行い、棲霞寺が誕生した。一方、奝然(ちょうねん)は983年(永観1)五台山巡礼のため中国に渡り、986年(寛和2)優填王(うてんおう)所造栴檀釈迦像(せんだんしゃかぞう)の模刻、十六羅漢(らかん)像、宋(そう)版大蔵経を持って帰朝した。翌年将来した釈迦像を本尊として、愛宕(あたご)山に五台山清凉寺の建立を出願、990年(正暦1)に戒壇の併設を出願した。しかし叡山(えいざん)の反対により許可にならず、東大寺別当に任じられて京都を離れ、1016年(長和5)志を果たさず没した。弟子盛算は愛宕山麓(さんろく)の棲霞寺内に清凉寺を建立し、師の遺志を実現した。現在の釈迦堂は1703年(元禄16)完成のもの。もと真言(しんごん)宗大覚寺派に属していたが、室町時代には融通(ゆうずう)念仏の大道場となり、このころから浄土宗に固まったとみられる。現在、棲霞寺は境内の阿弥陀堂に名を残すのみである。
奝然将来の木造釈迦如来立像(国宝)は「生身の釈迦」といわれ、全国に数十躯(く)の模刻があり、その信仰の大きさを物語っている。そのほか絹本着色十六羅漢像(国宝)、木造十大弟子像、紙本着色融通念仏縁起、紙本着色釈迦堂縁起など多くの国重要文化財がある。大念仏狂言(4月中旬の土・日曜日)、お松明(たいまつ)式(3月15日)の行事は名高い。
[清水 乞]
『佐々木剛三著『清凉寺』(1965・中央公論美術出版)』
京都市右京区にある浄土宗の寺。山号は五台山,通称は嵯峨釈迦堂。〈しょうりょうじ〉とも読む。もとは嵯峨天皇の皇子,源融(みなもとのとおる)の山荘〈棲霞観(せいかかん)〉のあった所。融の死後,寺に改められて棲霞寺と号した。東大寺の僧奝然(ちようねん)が入宋し,985年(雍煕2)台州で優塡王(うでんのう)造の栴檀(せんだん)釈迦如来立像を模刻させて持ち帰り,1016年(長和5)奝然の死後,弟子盛算が棲霞寺内の釈迦堂におさめ,清凉寺と号した。棲霞寺に仮寓した清凉寺は,この釈迦像が〈生身の釈迦〉の瑞像であるとの信仰をあつめ,しだいに大きくなり,棲霞寺よりも名が高まった。棲霞寺にとって,いわば庇を貸して母屋を取られた形で,今は清凉寺内の阿弥陀堂にその跡を残すにすぎない。中世には釈迦堂への参詣・参籠者がふえ,また浄土教の普及とあいまって,嵯峨一帯に隠遁する聖(ひじり)たちの宗教活動の拠点となり,清凉寺は従前の超宗派性をうしない,浄土系念仏宗の色が濃くなる。それは,信仰の趨勢にもよるが,いくたびかの災害にあった諸堂舎を,念仏者の勧進で再建されたことにある。〈本願〉と称した彼らは寺院経済の実をにぎり,真言系の五大堂など五つの子院としばしば対立した。ことに近世の釈迦像の出開帳(でがいちよう)における賽銭の分配をめぐる両者の争いは,世人の嘲笑をあびた。明治維新の際,真言系の子院が大覚寺に合併されて以後,浄土宗単独の寺となる。寺宝には,釈迦像とその胎内納入品や《十六羅漢像》(国宝),《融通念仏縁起》(重要文化財)などがある。
執筆者:中井 真孝
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…仏像や祖師像に付着した塵埃をぬぐい清めること,またその法要をいう。京都市嵯峨の清凉寺(釈迦堂)のそれが歴史的にも名高い。毎年4月19日(もと3月)に,香水(こうずい)に浸した白木綿で本尊の釈迦像をぬぐい,これを信者にあたえる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」