清名幸谷村(読み)せいなこうやむら

日本歴史地名大系 「清名幸谷村」の解説

清名幸谷村
せいなこうやむら

[現在地名]大網白里町清名幸谷

上貝塚かみかいづか村の北に位置する。セイナゴヤともいい、古くは泪広野なみだこうやとも称した。城内前じようないまえ一帯九十九里平野の砂堆部の微高地を利用した低地館跡がみられる。往時は沼沢地と考えられ、沼に囲まれた要害の地であった。館跡東の日蓮宗東光とうこう寺には中世の五輪塔や宝篋印塔などの石塔類が残る。「家忠日記」の天正二〇年(一五九二)三月条に「せいなこうや」とあり、当地二三八石余が松平家忠領となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android