清名幸谷村(読み)せいなこうやむら

日本歴史地名大系 「清名幸谷村」の解説

清名幸谷村
せいなこうやむら

[現在地名]大網白里町清名幸谷

上貝塚かみかいづか村の北に位置する。セイナゴヤともいい、古くは泪広野なみだこうやとも称した。城内前じようないまえ一帯九十九里平野の砂堆部の微高地を利用した低地館跡がみられる。往時は沼沢地と考えられ、沼に囲まれた要害の地であった。館跡東の日蓮宗東光とうこう寺には中世の五輪塔や宝篋印塔などの石塔類が残る。「家忠日記」の天正二〇年(一五九二)三月条に「せいなこうや」とあり、当地二三八石余が松平家忠領となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む