日本大百科全書(ニッポニカ) 「稲葉黙斎」の意味・わかりやすい解説
稲葉黙斎
いなばもくさい
(1732―1799)
江戸中期の儒学者。本姓は越智(おち)、名は正信、通称は又三郎、黙斎は号。享保(きょうほう)17年11月13日、佐藤直方(さとうなおかた)の高弟で唐津(からつ)藩儒の稲葉迂斎(うさい)(1684―1760)の次男として、江戸・日本橋浜町(東京都中央区)に生まれる。初めは父、のち野田剛斎(のだごうさい)(1690―1768)から山崎闇斎(やまざきあんさい)派の朱子学を学ぶ。『先達遺事(せんだついじ)』1巻(1767)などに同派の逸話を、『韞蔵録(うんぞうろく)』16巻(1752序)などに直方の著作を集成した。館林(たてばやし)、丸亀(まるがめ)など諸藩に進講。新発田(しばた)藩に仕え、晩年は致仕して上総(かずさ)国山辺郡清名幸谷(せいなこうや)村(千葉県東金(とうがね)市)に隠居した。寛政(かんせい)11年11月1日に死去。墓所は千葉県山武(さんむ)市成東(なるとう)の曹洞(そうとう)宗元倡寺(げんしょうじ)。著作は『孤松全稿(こしょうぜんこう)』40巻(未刊)に収録。
[三宅正彦 2016年4月18日]