日本歴史地名大系 「清水島村」の解説 清水島村しみずじまむら 富山県:婦負郡婦中町清水島村[現在地名]婦中町清水島(しみずしま)神通川中流左岸と井田(いだ)川中流右岸の間に位置し、すぐ西側を牛(うし)ヶ首(くび)用水が通る。北東は堀(ほり)村、南西は牛ヶ首用水を挟んで田屋新(たやしん)村。貞治五年(一三六六)一二月二二日の足利義詮袖判下文(佐野文書)によれば、「伊沢保内清水島神九郎跡」などが佐野秀綱に給されている。堀村の枝村で、もと川の中島で、清水が噴出する所があったので名付けられたという(婦負郡志)。正保郷帳では堀村の内と記される。享保六年(一七二一)の高三九一石余(「村付高改帳」島倉家文書)。寛政二年(一七九〇)の古高三一二石余・定免三ツ四歩五厘、新田高一二石余・平均免一ツ三歩八厘、銀納畑林三二〇歩(高物成品々手鏡)。 清水島村しみずしまむら 福井県:勝山市清水島村[現在地名]勝山市荒土(あらど)町清水島滝波(たきなみ)川右岸の高位扇状地に立地。村名は慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図にみえ、高五八五・〇二石とある。正保郷帳によれば田方五六三石余・畠方二一石余。慶長五年から福井藩領、寛永元年(一六二四)勝山藩領、正保元年(一六四四)幕府領で福井藩預地、貞享三年(一六八六)幕府直轄領、元禄四年(一六九一)以降勝山藩領となった。家数は、寛政九年(一七九七)本百姓二〇・水呑一二(勝山市教育委員会蔵文書)、明治初年には本百姓三四・水呑九(元勝山県村々明細帳)であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by