渡岸寺跡(読み)どうがんじあと

日本歴史地名大系 「渡岸寺跡」の解説

渡岸寺跡
どうがんじあと

[現在地名]高月町渡岸寺

応永一四年(一四〇七)の奥書のある己高山縁起(鶏足寺蔵)に寺名がみえ、己高こだかみ山を中心とした諸寺の一つであったとみられる。渡岸寺集落の北にある観音堂は渡岸寺跡地と伝え、現在向源こうげん寺の飛地境内になっている。天平八年(七三六)疱瘡が流行、聖武天皇は泰澄に除災祈祷を命じた。泰澄は十一面観音像を刻み渡岸寺を建立、息災延命万民豊楽を祈請した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android