貞観彫刻(読み)じょうがんちょうこく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「貞観彫刻」の意味・わかりやすい解説

貞観彫刻
じょうがんちょうこく

平安時代前期,すなわち貞観時代に制作された彫刻当代には空海や最澄によって日本に本格的な密教が伝えられ,仏教は行や修法を重視し,より人間中心のものに変身した。こうした密教的な修法の本尊として多面多臂 (ひ) あるいは忿怒明王像が多く造られるようになり,不動明王などのいかにも密教像にふさわしい仏像が生れた。また奈良時代に盛んであった銅造,塑造,乾漆造の技法はほとんど姿を消し,貞観彫刻における材質の主流は,木彫とそれに一部補助的に乾漆を用いたものに変った。こうした仏教界の動向や材質の変化は,彫刻様式にも大きな影響を与えた。仏像の表情は晦渋さを増し,神秘的な深みのある形相で,体躯も量感のあるどっしりしたものとなった。表面の彫り口も強く,また翻波式衣文 (ほんぱしきえもん) や巻葉渦文を表現したものが一つの典型となった。当代の特徴ある主要遺品として京都,教王護国寺講堂の『五菩薩像』 (うち1躯は後補) をはじめ『五大明王像』『四天王像』,広隆寺講堂の『阿弥陀如来坐像』『虚空蔵菩薩像』『地蔵菩薩像』,神護寺の『薬師如来像』,同寺多宝塔の『五大虚空蔵菩薩像』,観心寺の『如意輪観音像』,新薬師寺の『薬師如来像』,法華寺の『十一面観音像』などがある。またその他の地方にも貴重な遺品がみられ,岩手黒石寺の『木造薬師如来像』,広島,古保利薬師堂の『薬師如来像』などが伝わる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「貞観彫刻」の意味・わかりやすい解説

貞観彫刻
じょうがんちょうこく

都が奈良から京都に移った794年(延暦13)ごろから、9世紀末ないし10世紀なかばに至る平安初期の彫刻の時代様式をさす。この時代を859年から877年に至る貞観という年号で代表させたもので、その前の810年から824年の年号名から弘仁(こうにん)彫刻とか、弘仁・貞観彫刻ということもある。

[佐藤昭夫]

『倉田文作著『原色日本の美術5 密教寺院と貞観彫刻』(1967・小学館)』

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