渡波町(読み)わたのはちよう

日本歴史地名大系 「渡波町」の解説

渡波町
わたのはちよう

[現在地名]石巻伊勢町いせちよう浜松町はままつちよう松原町まつばらちよう大宮町おおみやまち長浜町ながはまちよう幸町さいわいちよう・渡波町一―三丁目・三和町みつわちよう後生橋ごしようばし宇田川町うだがわちよう万石町まんごくちよう塩富町しおとみちよう一―二丁目・垂水町たれみずちよう一―三丁目・渡波

万石浦西岸の砂洲上に立地。北は沢田さわだ村・根岸ねぎし村本郷に接し、西はみなと鹿妻かづまに接する街村。「安永風土記」に「奥海入江口波折渡之跡自然と汐干潟陸地ニ罷成、天文年中之比より段々御百姓住居仕候ニ付、波渡之跡村ニ罷成候間、渡波町と申唱候由申伝候事」と記され、また入江を渡る意のアイヌ語ワッタリの転訛(渡波町史)などの地名由来を伝える。大宮町に伊去波夜和気命いさはやわけのみこと神社(「いさりはやわけのみこと」とも)があるが、水沼みずぬまにも同名社があり、万石浦における塩田創開当時、製塩の神塩土翁命を祀るために水沼村から分祀したものか。「安永風土記」のうち代数有之百姓書出中の一二代相続・本町屋敷左蔵の条は、当集落の開拓者として「先祖佐々木肥後」をあげ、根岸西にしさき在住の肥後浪人佐々木肥後は、天文年間(一五三二―五五)万石浦南岸に移住して祝田浜いわいだはまを開拓。のちに葛西氏の命により渡波に再移住、同所の開発に努めたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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