日本歴史地名大系 「水沼村」の解説
水沼村
みずぬまむら
寛永八年(一六三一)には幕府領で、検地があった(天保九年「村明細帳」倉淵村役場蔵)。寛永二〇年の年貢割付状(塚本文書)では高二一〇石、田方五町六反余・畑方二四町九反余。元禄九年(一六九六)の入会山年貢定納方達(塚越文書)によると川浦地内川浦山の山年貢は永二貫文。前掲村明細帳によれば延宝八年(一六八〇)には山検地があった。
水沼村
みずぬまむら
- 宮城県:石巻市
- 水沼村
水沼村
みずぬまむら
水沼村
みずぬまむら
水沼村
みずぬまむら
水沼村
みずぬまむら
水沼村
みぬまのむら
犬上郡に所在した古代村落。天平勝宝三年(七五一)の近江国水沼村墾田地図(東大寺文書)には、近江国司により開発され、奈良東大寺に施入された水沼村の田地が詳細に描かれ、開田の事情と四至が注記されている。「水沼村参拾町」は「東水沼池山、南□□墾田家畠、西百姓口分□□、□□□□山赤坂岡」と注記があり、条里の図が記される。絵図の記載と注記によって、水沼村の故地は現在の多賀町
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報