湯宮村(読み)ゆぐうむら

日本歴史地名大系 「湯宮村」の解説

湯宮村
ゆぐうむら

[現在地名]黒磯市湯宮

那須野ヶ原北部と帝釈たいしやく山地にまたがり、東は木綿畑きわたはた村、南は蛇尾さび川の崖を境に蟇沼ひきぬま(現那須郡塩原町)、北は鴫内しぎうち村。台地には山間から井戸いど沢が流れ下る。那須氏の家臣湯郷新右衛門により開拓され、当初湯郷と称したという。天正六年(一五七八)塩谷氏の軍勢約五〇騎・百姓軍約一〇〇人が隣村木綿畑村に夜討をかけた際、湯郷新右衛門は戦死したとされる(旧県史)。天正一九年の那須与一郎資景知行目録(那須文書)には、「ゆくう」とあり二七九石四斗五升。近世は初め那須藩領、寛永二〇年(一六四三)から幕府領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む