湯屋山口町(読み)ゆややまのくちちよう

日本歴史地名大系 「湯屋山口町」の解説

湯屋山口町
ゆややまのくちちよう

[現在地名]堺市熊野くまのひがし一―二丁

湯屋町の東にあり、山口筋を挟む両側町。町名はこの湯屋町と山口筋に由来。「宮丁」の異称があった(元禄八年「泉州堺之図」堺市立中央図書館蔵)。元禄二年(一六八九)堺大絵図に「湯屋山口町」とあり、東頬六筆・西頬三筆の宅地からなり、町会所は北東隅に所在。東頬に記される伊丹屋宗不は明暦元年(一六五五)糸割符貿易中断以前の糸年寄で、貞享二年(一六八五)糸割符再興後も糸年寄を命ぜられた(糸乱記)。また東頬南端の半井家は代々医者の家系半井卜養は堺で生れ、寛文年間(一六六一―七三)江戸に招かれて大奥の御番医師となった。狂歌を好み、江戸前期の二大家といわれた。当町は四辻制では北本郷付町分であったが(元禄八年堺手鑑)、元禄二年に前記伊丹屋宗不が南本郷惣年寄となったことから当町を南本郷の大小路おおしようじ(南大小路町)の内に入れ、その代りに同町の一部を分けて市山口いちやまのくち町と名付け、北本郷に編入した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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